流動する虚偽 9
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いつもの様に唐突に現れるなり紫呉は「僕だけ除け者なんです」と頬を膨らませた。
「は? 何の話だよ」
雪斗は手にしていた造花を箱に戻し、拗ねた顔で胡座する紫呉に目を向ける。
「影虎が紗雪の期間限定恋人で、紗雪のご友人の旦那は闘技場の闘士の本命で、今日は皆で応援に行くそうです」
「分かるような分からねえようなだな。もうちょっと整理してから話せよ」
紫呉はそのままごろりと仰向けになり、事の顛末を語った。
「……ふーん。つまりお前も行くと男女の数が合わなくなるから来るな、と」
「そうです。一人で行くのも何となく虚しいので、とりあえず雪斗を誘いに来ました」
「来んなようぜぇ……」
雪斗はケチだ、と紫呉は小さく零す。それを無視し、雪斗は手元の箱から造花の材料を取りだした。
最近雪斗は傀儡師業から遠ざかっている。師の元へ傘持ちを頼み込みに行っても断られ、他の傀儡師の見世を見ては己と比較し嫌な気持ちが腹の底にぐるぐる渦巻く。
見世を開こうにも、今の自分の見世に自信が持てない。そんな芸を客に見せるわけにはいかない。
練習しようと傀儡に手を伸ばしはするが、傀儡を手にした途端に今まで自分がどうやって彼女達を扱ってきたのか分からなくなる。とりあえず舞わせてみるものの、思ったようにいかず苛立ちが溜まるばかりだ。
興行せねば金は入ってこない。しかし今の状態で興行はできない。いや、したとしても客は金を落としてはくれないだろう。
だが生きていくに金は入用だ。体力仕事の日雇いの仕事をする気は起きない。そんな元気も気力もない。
そこで地味にこつこつと造花作りに励んでいる。偽物の花弁に色をつけ、乾かし、花弁を重ねて糊付ける。針金を芯にしたこよりを茎にし糊付け完成だ。
ひたすら無心に造花を作るのは楽しかった。元より何かを作る事が好きなのだ。ばらばらだった材料が、自分の手によって形を成していく様が面白い。
それに造花作りには評価がついてこない。数をこなせばその分に比例して金が入ってくる。とても気楽だ。
「……何だよ」
ずるずると自分の側まで匍匐前進してきた紫呉が、造花を作る雪斗の手元をじっと覗き込んでくる。
「器用なものだと思いまして」
「んなジロジロ見んなよ。やりづれぇだろ」
「お気になさらず」
「気になるっつーの」
紫呉の目元を覆い、ぐいと顔を遠ざけさせる。一度はされるがままに距離を取った紫呉だが、すぐにまた側に戻ってきた。
「うぜぇ」
びしりと眉間にデコピンを喰らわせる。しかし「痛い」と無表情に呟くだけで、気にした様子もなく紫呉は変わらず雪斗の手元を見ている。
仕方がない、無視だ無視。
雪斗は黙々と作業を続けた。
花弁の皺を伸ばし、重ね、糊をつけ、重ねる。
ばらばらだった花弁が雪斗の手によって徐々に花の形を成す。それを無言で紫呉はじっと見ている。
「すごいですね、雪斗は」
「あ?」
完成した造花を玩びながら紫呉はぽつりと呟く。
「それがこれになるなんて、すごいです」
視線で花弁の集まりを示し、紫呉は手にした造花をくるくると回した。
「……別に、すごくはねえよ。こんなん誰にでもできるっつーの」
「僕は多分できませんけど」
「ああ……お前はな、やめとけ」
紫呉の不器用さは雪斗も知っている。
「けどまあ、一般的には誰にでもできるんだよ」
「それでもすごいです」
「……そうかよ」
「ええ」
手にした造花を箱に入れ、紫呉はまた雪斗の手元へと視線を戻した。仰向けになり自分の腕を枕にして、じっと視線を注いでくる。
どうにもやりづらい。
褒められるのは嬉しい。しかしこんな事で褒められても微妙だ。
しかも世辞ではなく本心から言っていると伝わるだけに、余計にやりづらい。そんな、すごいと言ってもらえるような事をしているわけでもないのに。
紫呉は時折、何かとても綺麗な物を見るような目で雪斗を見る。
「あ」
「どうかしましたか?」
「や、もう次で終わりだ」
箱に入れた花弁がもう尽きようとしている。
「そうですか……」
いかにも残念だという調子で紫呉は言った。
最近、以前に比べて声にも顔にも表情が出るように感じる。まるで初めて出会った頃の彼のようだ。
初めて会った時は今より髪が長かった。長く癖の無い髪を高い位置で一つに纏めていた。
妙な髪の色だと思った。一見ただの黒だが、日に透けると藍にも濃紫にも墨色にも見えた。彼の落ち髪を集めて傀儡の頭に使えば見事な傀儡ができるのでは、と考えたものだ。
あれは紫呉が十一か二の頃だったか。変声途中の彼の声を、何だか懐かしく思ったのを覚えている。
その頃の彼は、今よりももっとずっと表情に溢れていた。それでも十分無表情ではあったが、今に比べると彼の心情は量りやすかったように思う。
それが、髪を切って、無彩の衣を好むようになって、極端に表情が消えた。無理に押さえつけているような平坦で抑揚の無い声音になった。
(……それが二年前か)
だが最近はその無表情の中にも、彼の感情が滲むようになった気がする。
傷は癒えたのだろうか。
傷という二音で表すには彼の深部は深すぎるような気もするが、しかしそれでも表すには傷と言う他に無い。
額にかかる紫呉の前髪をすいと除け、雪斗は彼の眉上の傷に指先を触れさせた。こそばゆいのか紫呉は眉を寄せて僅かに身じろぐ。
初めて会った時にこの傷は無かった。いつ出来たのかは知らないが。
それを知るのが雪斗は怖い。
紫呉の――いや、彼だけじゃない、弐班の面子の傷がいつ、どこで、何故できたのか知るのが怖い。
その傷の裏側の、彼らの傷に触れるのが雪斗は怖かった。
深部に触れて、知って、知ったのに、その途端に彼らが死んでしまいそうで怖い。
彼らはしょっちゅう怪我をしている。痛くないわけがないのに、平気なフリをしている。平気な顔で自分の前に現れる。
だがいつか、彼らは自分の所へ来られなくなるのではと雪斗は思う。
「……それは嫌だな」
「はい?」
深部に触れたくないと思いながら、知りたいと思う自分を雪斗は自覚していた。
そう思っている時点でもう既に情が湧いているのだと、もう自分の生活から彼らを切り離す事は出来ないのだと分かっている。
それでも、少しでも彼らを遠ざけておきたい。来るとも知れぬ「いつか」に、自分の傷が浅くてすむように。
だから彼らが我が家に訪れる度に嫌な顔をする。自分が彼らから遠ざかる事はしないのに、自分から彼らを遠ざけようとしている。
(卑怯だな)
来るなと言いながら、来てほしいと望んでいる。
卑怯で、薄汚い。
「雪斗? どうしました?」
「……何でもねえよ!」
「うわ」
気まずさを誤魔化すように、雪斗は紫呉の髪を掻き乱した。ついでに何となく顔を見られたくなくて、彼の目元を掌で覆う。
「ちょ、何なんですか」
「だから何でもねえって!」
「む」
先日紫呉がくれた金平糖の余りを口に突っ込んでやる。もぐもぐと咀嚼しながら、紫呉は雪斗の手を外そうとガッと手首を掴んだ。
「まだ余ってたんですか?」
「ちょ、おま、痛ぇ! 痛ぇっつーの!!」
「じゃあどけて下さいよ」
「ぁいだだだだだだ本気で掴むなって!!」
腹筋を使って起き上がる紫呉に合わせて、雪斗は彼から手を除けた。
掴まれた手首にはくっきりと紫呉の指の痕が残っている。
「あーもー……いってぇなバカ」
「すみません」
全く悪びれずに言う紫呉が腹立たしい。
「で、何なんです?」
「お前は空気を読むって事を知らねえのか!? 察せよ!!」
紫呉はくすりと笑った。
(ああクソ)
からかわれている。
雪斗は赤銅色の髪をわさわさと掻き、造花の入った箱を抱え上げた。
「おや、どこへ?」
「換金しに行くんだよ。オラ、お前もそっちの箱持って来いよ」
紫呉は大人しく雪斗の言う通りに箱を持って立ち上がった。
「んでその後闘技場行くぞ」
「付き合ってくれるんですか?」
ぱっと顔を明るくする紫呉だ。思わず雪斗は顔を背けた。
「べ、別にお前の為じゃねえからな! 見世で何か活かせるネタねえかって思っただけで……。勘違いすんなよな!」
「ありがとうございます」
「だぁらお前の為じゃねえっつーの!」
赤くなった顔を見られぬよう、雪斗は大股で早足で歩く。
雪斗の後ろで、紫呉が笑う気配がした。
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