流動する虚偽 10
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「おーやってるやってる」
一段高い木組みの段上で、闘士が刃を交わしている。扇子片手に口上役が賑やかし、段を四方に取り囲む客たちが更に囃し立てていた。
木戸番に金を渡し、引き換えに番号札を貰った影虎はその様子を手庇を作って眺めた。
隣に立つ紗雪は闘技場の熱気に気後れしているようだった。表情が硬い。
「ねえ影虎さん、あれって真剣……?」
「んや、刃は潰してあるよ」
言った側から、西の闘士が東の闘士の腹を斬った。びくりと紗雪が肩を揺らす。
段上で闘士は激しく咳き込んでいる。血は出ていない。それに紗雪はほっと息を吐いた。
扇子を掲げ、口上役が西の勝ちを告げる。
途端に満ちる歓声と怒号。垣の向こうに消える負けた闘士に、小石やら何やらが投げつけられる。対して勝った闘士は段上で喝采を浴びていた。
「今の人結構いつも勝つんだけどねー。あ、勝った人新しい人だ」
と、楓は段上を指差した。
あれから何度か紗雪と共に楓と会い、彼女とはもう随分打ち解けていた。お互い口調も砕け、料理の話などでそこそこ盛り上がるくらいの仲にはなっている。
段上の闘士は、四方を取り囲む客に向かって挑発していた。客から挑戦者を募っているようだ。
客の一人がそれに応え段上に向かった。やんやと客はそれを賑やかす。口上役が扇子で掌を打ち客を鎮める。
空いた客席に腰を落ち着け、影虎たちは段上を見つめた。
口上役が舞うように謡うように東西の闘士を紹介する。その間に着飾った二人組の小僧と娘が客の合間を行き来する。小僧が金と札を集め、娘は帳面に番号とかけ金を書き付けていた。
小僧と娘が垣の向こうに消える。段上には二人の闘士。しんと客席は静まり返っている。
ぴんと張り詰めた空気の中、闘士二人は互いに睨み合っている。午後の日差しが二人を照らしていた。
口上役が扇子で手を打ち段を降りた。段の側の鐘を鳴らす。
それと同時に二人の闘士はぶつかり合う。客席からは興奮に満ちた声が上げられた。
やいのやいのと囃す客の声がうるさいほどだ。それに品が無い。自分はともかくとして、少女二人に聞かせるには少し抵抗があった。
だが影虎の心配をよそに、楓はけろりとした顔だ。慣れているのだろう。
しかし紗雪は身を小さくし、びくびくとしながら段上を眺めている。刃が闘士の肌に触れる度に肩を揺らし、目を背けていた。
「怖い?」
「……怖くない」
「嘘つけ。ま、死にゃあしねえから安心しろって」
「それは確かに、そうなんだけど……」
俯き唇を噛みしめる。そう言えばこういった荒事は苦手だと言っていたか。赤銅色の髪の向こうに覗く横顔は青かった。
「……怖いなら見ないで良いけどさ。武器がどうやって使われるか見ておいた方が良いと思うぜ?」
紗雪はちらりとこちらを見上げる。
「黒官目指してんだろ?」
影虎は少しばかり皮肉げに唇を歪めて笑った。紗雪は段に視線を戻し、己の袴の裾をきゅっと握った。
「……うん」
闘士の肩口を刃が掠めた。袴を握る紗雪の指先が白く色を変えている。それでも段上に注がれる視線はぶれない。影虎は軽く彼女の肩を叩いた。
後ろについた両手に体重を預け、影虎は段上を見る。西の闘士が段下に投げ飛ばされたところだった。
口上役が落ちた闘士に是か非かを問うている。闘士は口上役を突き飛ばすようにして段上に戻った。
(……東の勝ちかな)
西の闘士(今落ちた男。先程客席から起った方だ)にはもう力が無い。まだ目に力は有るものの、それに体が追いついていない。攻撃をかわすのに精一杯だ。
(お)
ふと影虎は客の中に知った顔を見つけた。紫呉と雪斗だ。
小さく指先だけで合図を送ってやる。紫呉が気付いた。愛らしい少女二人を側に置いた自分を見せ付けるように、二人を横目で見やってにやにやと笑う。
紫呉は気付いていない振りをして段上に視線を戻した。面白くないと顔に書いてある。
影虎は笑いを噛み殺した。
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明日女の子二人とお出かけなんだぜー良いだろー羨ましいだろーまあ後で男一人追加だけどさ。
そんでその人闘技場の最優秀本命闘士なんだぜ? すごくね?
昨晩そう笑っていた影虎を思い出す。どうにも面白くない。
「……東の勝ちですかね」
濁った気分を誤魔化すように、紫呉は段上の二人に目を向けた。
「マジで? よっし賭けてて良かった!」
ぐっと雪斗が拳を握る。
「意外ですね」
「あ? 何が」
「雪斗はこういうの苦手だと思ってました」
こういうの、と顎をしゃくって段上を指す。
雪斗は顔に似合わず(と言ったら失礼だが)荒事や暴力沙汰が嫌いだ。それに人の怪我には過敏に反応する。だから闘争を売り物にする事には拒否反応を示すと思っていた。
「んー……、まあ、苦手っちゃ苦手だけど。致命傷とか無いしある意味安全だろ、ここだったらさ」
それに、と雪斗は鼻先を掻いた。
「同業者……っつったら違うかもしれねえけど、あの人らも魅せる事が仕事なわけだし。苦手だけど否定はしたくねえな。だったら楽しまねえとな、みてえな、さ」
徐々に雪斗の頬が赤く染まる。
「や、まあ、生活かかってるしな! 賭けで儲けたら楽だしよ!」
殊更に荒っぽく言って、雪斗はぷいと顔を背けた。
何に照れているのかいまいち理解できないが、どうしたのだと聞けば雪斗は怒るだろうという事は理解できる。
聞きたいが、ここはぐっと堪えた。今日は既に雪斗を怒らせている。日に何度も怒らせては良くないだろう。
「あ」
場内が沸く。勝敗が決したようだ。よし、と雪斗が拳を握った。
負けた闘士が、垣の向こうによろめきながら消えていく。小僧と娘が札と金を配りに廻る。勝った側は、ぐるりと客を見渡し挑発を繰り返していた。
さて、次はどうなるか。
今勝った男は次で三戦目になる。彼がここの実力者である事は確かだが、そろそろ疲れが出てくる頃だろう。
だが汗の浮かぶ頬に翳りは見えない。むしろ興奮冷めやらぬ様子だ。このままの勢いで次も勝つかもしれない。
段上の挑発は未だ続いている。これで客から挑戦者が現れぬ場合は、垣の向こうにいる闘士が現れるはずだ。
観客は今か今かと次の対戦を心待ちにしている。膨れ上がった期待と緊張とが、ざわざわと場内を満たしていた。
「おいそこのガキ!」
闘士の指先がこちらを向く。
「そこの赤毛の眼鏡だよ!」
「は!? オレ!?」
己に指先を向け、雪斗は三白眼を大きく見開いた。
「なかなかに凶悪なツラしてるじゃねえか。今まで何人殺ってきた?」
「や、ゼロだよゼロ!」
あたふたと雪斗は手と首を振る。
「じゃあ女は何人犯ってきた? そのツラじゃあまともに女にゃあ相手されてねえんだろ? 今まで何人手篭めにしてきたんだ?」
「それもゼロだっつーの!! 人聞き悪ぃ事言わねえでくれよ!!」
思わず紫呉は吹き出した。笑うな、と雪斗が真っ赤な顔で紫呉を小突く。
「意気地のねえ野郎だなあ! おい、隣のガキ!」
「おや、僕ですか?」
己を指差すと、男は頷いて野卑な笑みを浮かべた。
「そうだてめえだよ。てめえはどうだ? 童貞の皮被りか?」
「ご想像にお任せします」
客席から野次が飛ぶ。
そんなガキを相手にするな、誤魔化すな童貞野郎が。様々だ。
「ああ、お前みてえなチビのクズは相手にされてねえんだろうなあ。可哀そうによお」
「背はこれから伸びますよ」
「そりゃねえな! お前はこの先もチビでクズで女にゃ見向きもされねえ! 残念だったな!」
余計なお世話だ。
場内に嘲笑が満ちる。にやにやと、からかうような笑みを浮かべる影虎の姿も見えた。腹の立つ。
「どうだ? 俺に勝ったら良い女を紹介してやるぜ? 俺のお下がりで良かったらな!」
「それはそれは。女性もお気の毒でしたね」
苛立ちを皮肉にしてぶつける。男の頬に赤みが差した。笑い声がさんざめく。
むずりと悪戯の虫が湧いた。この男の高い鼻をへし折ってやると、いったいどんな顔をするのだろう。いったいどんな遠吠えを聞かせてくれるのだろう。
なかなかに魅力的な案に思えた。段上に上るつもりは無かったが、試してみるのも一興だ。
紫呉は立ち上がって尻の汚れを払った。場内がどよめく。
「え、あ、おい、紫呉?」
「全額僕に賭けて下さい」
雪斗はうろたえ、あわあわと指を無意味に動かした。
「存分に魅せてさし上げますよ」
自分の財布を、ぽいと放り投げるようにして雪斗に預ける。
口上役から受け取った打刀を腰に差し、段上に上がった。
何故自分を使わぬとうるさい牙月を宥める。数珠ごと手首を握り、ばちばちと鳴く牙月を無理やりに押さえつけた。
男は細巻きに火をつけ、ふぅと紫呉の顔に煙を吹きかけた。
「可哀そうになあ。お前これからこの顔つぶされちまうんだぜ? チビでクズでブサイクとなったらもう救いようがねえよなあ」
紫呉は男の口から細巻きを奪い、煙を深く吸い込んだ。はたと男が大きく目を瞠る。ずいぶんと安物の煙草を吸っている事だ。味が悪い。
「安い挑発、ご苦労様です」
男の顔に煙を吹きかけ、捨てた細巻きを足裏でにじる。
わなわなと震える男の拳が面白い。馬鹿にしてくれた礼だ。
さあ、どうやって遊んでやろうか。
カン、と高く鐘が鳴った。
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