家族哲学 10
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三
両脇を男に固められ、須桜は吉江邸を歩いた。注意深く見渡しながら、影虎が作った見取り図を脳裏に描く。
(……流石ね)
寸分違わぬというわけではないが、ほぼ合っている。流石としか言いようが無い。
だが何となく素直に褒めるのも癪だ。しかし影虎が優れているのは事実である。須桜は溜息をついた。
「まあ、そう気を落とすなって」
須桜の溜息の理由を勘違いしたのか、田中が面白がる調子で言った。
「そうそう。旦那様はやさしいぜ? 金だってたっくさんくれる」
「まあ、貰ったところで無意味だけどなあ」
田中は男と顔を見合わせて笑った。
屋敷の北の奥、襖の前には警備員がいた。その男と二言三言交わし、田中は襖を開く。
その向こうには座敷牢があった。
中には少女が二人。
「ほら、新入りだ」
牢の中の少女がちらりと視線を寄こす。感情は読めなかった。
鍵を開ける。
「仲良くしろよ」
懐に手を差し込まれた。財布を取りだし、田中はそれに頬ずりをした。
背を押され、牢に入れられる。背後で錠の落ちる音がした。
牢は十畳ほどか。見事に殺風景だ。文机と箪笥が一つしかない。
中の襖を開いてみると、廊下が続いていた。おそらくは厠に続いているのだろうが、暗くて奥までは見えない。
小さな格子窓から月光が差し込んでいる。二人の少女はその光を受けながら、じっと須桜に視線を注いでいた。
一人は、茶色の髪をした少女だ。十八・九か。長く伸びた髪を背に流している。
もう一人は部屋の隅で膝を抱えていた。真黒い髪をおかっぱにし、眼鏡をかけている。年の頃は十四・五だろう。
「あなたも帰るところが無かったの?」
茶色の髪をした少女が口を開いた。
「……そんなところ」
理由は別に有るが、告げるわけにはいかない。
「私は桐子。ちなみにその子は琴。あなたは?」
「須桜」
きれいな名前、と桐子は笑った。琴は変わらず膝を抱えたまま動かない。
「ねえ、桐子さん。あなたも帰るところが無いって……」
「ああ、うん。私はね、施設で育ったの。でも嫌になって、出てきた。その時に吉江の旦那に拾われた」
「吉江の旦那……」
「そう。このお屋敷の旦那」
「さっきの、田中って男にじゃなくて?」
「琴はあの男が連れて来たんだけど。私は古株だから」
「……どういう事?」
ええと、と桐子は視線を天井に向けた。
「私が旦那に拾われたのは四年前。だいたい同じ頃に拾われた子は、最近出て行った。……って言うより、出て行かされた。それで、いなくなった子を補充しようとして、田中が琴を連れてきた」
四年前。
それは、薬漬けにされた少女の、行方不明届けが出された時期だ。
「出て行かされたって……どうして?」
「田中が捨てた」
捨てた?
どういう事だ。
「何で、そんな事になったの?」
「うーん……。何だかね、田中が来てからここはおかしくなった。歪なりにそれなりに上手くやってたのに。田中は旦那の遠縁とかで、お金に困ってたから雇ってあげたって旦那は言ってた」
桐子は淡々と語る。快も不快も声には滲んでいないが、田中の名を出す時は少しばかり声が硬くなる。
「それでね、……うーん……どう話したら良いんだろ……」
「……ごめんなさい。いっぱい聞いちゃって」
「いや、それは良いんだよ。いっぱい不安も疑問も有るだろうし」
ちょっと待って、と桐子は腕を組んで考え込んだ。
「ええと、まず、私は四年前に拾われた。行く所も帰る所も無くて、愛染街で困ってる時に声をかけられたの。旦那に全く下心が無いなんて思わなかったけれど、それでも不特定多数の客相手に体を開くよりは良いやって思って、ついて行った」
それで、と桐子は唸りながら瞑目した。
「同じ頃、私以外に三人連れられてきた。みんな、家には帰れないって言ってた。喧嘩したとか、帰りたくないとか、みんなそれぞれ色々言ってた」
四年前に行方不明届けが出された少女は三人。
「田中が来たのは最近。見ての通り、お金が大好きなの。私達は、その、旦那様のお相手をした時にね、旦那様が満足した時とか、気まぐれでお金を貰えたりする。そのお金を田中は持っていった」
桐子は大きく息を吐いた。
「別に、ここにいる限りお金持ってても無駄だからそれは良いの。最初の頃は奪われるだけだった。でも田中は知恵をつけた」
「知恵……?」
「うん。私達に、おかしな煙草をくれるようになった」
はっと須桜は息を呑む。
それは、大麻煙草の事か。
「幸せになれるよとか言ってね。ここの生活に膿んでた子はそれにハマった。それ欲しさに、持ってるお金全部を田中にあげた。買う為に、お金が欲しいから、自ら進んで旦那様のお相手をしにいった。で、貰ったお金で田中から煙草を買ってた。たぶん田中はそれを狙ってた」
ず、と洟をすする音がした。牢の隅で琴は涙を流して震えている。
「……みんな、何だかおかしくなってしまいました。最初の頃は、まだ、普通でした。でもだんだん……何だか、いつも、ぐったりしていて物覚えも悪くなって……いつも、眠いって……。それに、咳もいっぱい……」
琴は眼鏡を外して涙を拭った。
琴の語った症状。
それは大麻中毒者の症状そのものだ。咳は煙草の所為で喉をやられた為だろう。
桐子は琴の肩を優しく撫ぜる。
「……それで、旦那様はその子達に満足しなくなった。だからご褒美もくれない。お金が無けりゃその変な煙草は買えない。田中はお金が欲しいのに」
「……だから捨てた?」
「そう。それで、新しい子を連れてこようって算段。それで琴が連れてこられた。私と一緒の頃にここに来た子、その子が最初に捨てられた。代わりに琴が来た。あとの二人も捨てられた。今は、その子達の代わりを探して田中達は頑張ってるんじゃないかな」
桐子の硬い声音には嫌悪が滲んでいた。
「たぶんこの先もいっぱい連れてこられるよ。それで煙草をあげる。田中はお金を貰う。女の子が駄目になったら捨てる。また連れてくる。煙草をあげる。田中はお金を貰う。駄目になったら捨てる、連れてくる、その繰り返しだ」
琴が大粒の涙を零してしゃくりをあげる。
「帰りたい……帰りたいです……」
ごめんなさいお父さんお母さん。
謝罪を繰り返しながら琴は泣いた。
「……でも吉江は、……吉江の旦那は、おかしいって思わないの? 皆の様子とか、女の子が入れ替わってる事とか……」
「それが思わないんだよ」
桐子はくすくすとさもおかしげに笑った。
「馬鹿なんだよ、あの人。……あの人はね、庇護する事が好きなの。可哀そうな女の子を庇護して、お金を与えて、支配するのが好きなの。だから田中も雇ったんだよ。お金のない可哀そうな遠縁を雇えちゃう自分が好きなの。お店が自分の物になって、何でも自分の思うように動かせるって思って、酔っちゃったの。支配している自分が好きなの。女の子達を抱いて、支配して、服従させるのが好きなの。そんな事ができる、自分が好きなの。……だから、相手は、何でも良いの」
悲しげに桐子の眉が顰められる。
(……なるほどね)
からくりは解けた。
馬鹿な男だ。吉江も、田中も。
須桜は長く息を吐いて、憤りに揺れる心を抑えた。
その時だ。
襖が開いた。男がこちらにやってくる。
「旦那がお呼びだぜ?」
鍵を開け、男は須桜の腕を掴んだ。
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