火炎の淵 2
円座になり座る。その背後にはそれぞれの臣下が控えた。八重の背後に控えたのは三十路すぎの男だ。ほとんど白に近い薄茶の髪に、まるで糸のように細い目が特徴である。
男は紫呉の視線に気がついたのか、軽く一礼してみせた。細い目はどことなく笑みを含んでいるようで、紫呉は居心地の悪さを覚えた。
「この度は」で始まる何やら小難しい文言が、八重と父の間で交わされている。破天の襲撃を気遣うような内容だ。
それを聞き流しながら、紫呉は周囲に悟らぬよう細く長く息を吐いた。
紫呉の怒りを感じとっているのか、先程から牙月がやかましい。抜け、斬れ、と訴えかけてくる彼を心中で宥め、昂る心を落ち着けようと紫呉はゆっくり深呼吸を繰り返す。
一昔前は、庵の中に黒器を持ち入る事は禁止とされていた。会合の際は臣下に預け、その臣下もまた、庵への立ち入りは禁止されていた。
その慣習を廃したのは、やはり与四郎だ。相互間に害意は有らず、と黒器の携帯を許可した。臣下の近侍も許した。
当時はそれに対し何も思わなかったが、今になって与四郎を恨めしく感じる。
黒器は武器だ。装飾品の姿をした武器である。充分な殺傷能力を持つ事は、嫌になるほどに知っている。
それを携えながら、目の前に憎い男が存在しながら、抜く事は叶わない。
加羅の手首にもまた、黒器が光っていた。瑠璃の数珠だ。向陽という名だ。乱刃の打刀に姿を変ずる。
あれに腹を裂かれた。
あれが翔太の首を刎ねた。
ぱち、と小さく牙月が爆ぜる。今度は、手首ごと黒器を握りこんで抑えつけた。
加羅が何やら含みのある視線を流して寄こす。それには気付かぬフリで、紫呉は俯いて息を整えた。
「そうだわ」
ふいに八重がはしゃいだ声で、ぽんと手を打った。
「わたし、久しぶりに二人の剣舞が見たいわ。ねえ加羅、どうかしら」
名案だとばかりに、八重は満面の笑みをこちらに投げかける。
話を聞き流していた紫呉は面食らった。
「それは良い。次男殿と、皆さまがたの許しを得られるならば、是非に」
加羅の笑み顔に、紫呉は全力で首を振る。
冗談じゃない。刀を手にして加羅と向き合い、平静でいられようものか。
紫呉は慌てて言い募った。
「意地の悪い事をおっしゃいます。わたくしが芸事に疎い事は、よくご存知であらせられましょうに」
「懐かしゅうございます。幼い頃は、おそれながらもご指導にどれだけ苦労した事か」
わざとらしく溜息混じりに言う加羅を、八重は口元に指先を沿えてころころと笑う。
「ええ、ええ。そうだったわ。あなたたちの双子獅子は、獅子というよりも子猫のじゃれあいのようでしたもの」
「……お恥ずかしい限りです。どうぞ平にご容赦を」
「あら、残念だわ。かわいらしくて、わたし、とても大好きだったのよ」
「ならば伯母上、わたくしどもに一時ばかりお時間を下さいませんか」
加羅の申し出にとまどったのは紫呉だ。だが加羅は紫呉のとまどいを知らぬ顔で話を続ける。
「外は、澪月の切れ間の晴天です。舞の習練にはちょうど良い。ねえ、次男殿」
「……っ、わたくしは」
「そうね、それが良いわ。そうなさい」
話は紫呉の意向を無視して進められる。一礼して、加羅が腰をあげた。八重は楽しそうに笑っている。
「そうだわ、汀。あなたもお庭に連れて行ってもらいなさい。ここのお庭は美しいお花がたくさん咲いていて、とてもきれいなのよ。見せてもらうと良いわ」
八重の背後に控えていた男が、無言で頷いて(庵内で発言を許されているのは日生と如月の者のみだ)立ち上がる。
そうか。この男が汀――斉藤汀か。護焔隊の隊長を務める男か。
はやく来い、というように加羅がこちらを見る。ここまでされたら、断る方が難しい。
「……意地の悪いお方だ。そこまでわたくしを笑い者になされたいのですか」
「笑い者だなんて、ふふ、そんなことしないわ」
笑う八重はあくまでも無邪気だ。嘆息したいのをこらえて、紫呉は重い腰を上げる。一礼して出口に向かった。
「庭には毒のある花もございます。万一若君のご尊顔に傷をつけでもしたら事だ。御影、お前も来ると良い」
紫呉に呼ばれ、須桜は驚いた様子だった。だがすぐに一礼して、退出する紫呉に従った。
先を歩く加羅と汀の背を見やりながら、紫呉の心中は穏やかでなかった。
いったい、何を考えているのだ。