壁の目
湯殿の壁に目が生えた。
埋もれたとも言いかえられるかもしれない。
とにもかくにも目がいたのだ。ぱち、と瞬く目は私を見ているのだろうか。
私は体を洗うのをやめ、目を見つめた。目はぱちぱちと瞬きを繰り返すが、何も言わない。それもそうだ。目なのだから。
「これ、目」
呼びかけると、目は瞬いた。
しかし呼びかけたものの、特に用事は無い。幾分据わりの悪い心地がしたが、まあ良い。私は再度体を洗い始めた。
その様子を、目はじっと見ている。
何だか妙な気分を覚える。目は私の全てを見ているのに、私は目の目しか見られないのだ。
目の他の部位は壁の向こう側にあるのだろうか。それとも、目には目しかないのだろうか。
考えたところで確かめる術は無い。壁を取り壊すと湯殿が使えなくなってしまう。それは困りものだ。
それにしても目は私の何が面白いのだろうか。じっと注がれる視線は痛いほどだ。
「これ、目」
ぱち、と返事をするように目は瞬く。
「無遠慮であろうよ」
何しろ、私は一物から何から晒しているのだ。目は目しか晒していないというのに。
すると目は笑うように、三日月の形にすうと曲がった。
私は苛立ちのようなものを感じた。
突いてやれば良いのかもしれないが、それは少し可愛そうな気もする。それに私は血に弱いのだ。目から垂れ流れる血を見ようものならすぐさま倒れて、家中の者に無様な姿を晒してしまうだろう。
だから私は、白目をつるりと指先でたどった。
目はこそばゆいのか、黒目をぐるぐるさせている。時折黒目が指先に触れるのだが、そのどちらもぬるぬるとしていて、私は奇妙な心地を覚えてしまう。
「これ、目」
大人しくなさい。
告げて、指を離す。
白目には赤く、細く、血の管が走っていて、なるほど目の血の色も私と同じなのかと、そんな事を考えた。
目は素直に私の言葉に従い、大人しく、じっと私を見ている。
私は唇を弓なりに曲げた。
「これ、目」
壁に手をつき、私は目に唇を寄せた。
「大人しく、しているのだぞ」
舌先を伸ばし、ぬるついた目をなぞる。目は私の言葉に従って大人しくしているようだ。
舌に感じた味は塩っ辛く、なるほど目の涙も私と同じ味なのかと、そんな事を考えた。