垢舐めが自重しない
垢舐めが自重しない
扇屋は毎度のごとく頭を抱え、うんうんと唸っていた。
絵を描くも扇を売るも扇屋と言えるから、この男だけを扇屋と呼ぶには相応しくないのかも知れぬがそれはやはりさて置き、頭を抱えた扇屋は大きな溜息を吐いた。
扇屋の雇い主でもある馬鹿旦那……いや、若旦那が、無理難題を押し付けてきたからだ。
『なあなあ、扇にエロ絵描いたら良いと思わん? 閉じてりゃ全くもってエロくないのに開いたらいきなりエロいとか、超良くね? 超おんなのまたぐらっぽくね?』
とか、自重しろバ……若旦那。
バ……若旦那には感謝はしている。ひとよりもあやかしに近かろう扇屋を雇い、仕事を与えてくれた。それは確かに感謝『は』しているのだが、こいつ馬鹿だろという念は拭えない。
しかしいかに馬鹿であろうとも、雇い主の言い分を無碍にする事は出来ぬ。馬鹿旦那の言を借りたところの『開いたら超エロい感じ』の絵を、扇屋は描く必要があった。
図案は一応浮かんでいる。筆を走らせその図案を地紙に写し取るも、何だか面白みが無い。単に男と女がまぐわっているだけの絵になってしまう。
抜けないエロはただのエロだ、と難題を押し付けてきた際、馬鹿旦那は言っていた。馬鹿だこいつと思ったが、何となく納得してしまった自分もやはり馬鹿だ。
もっとこう、独創的なものが欲しい。独創的だなんてその言葉自体が手垢のついたものではあるが、やはり一描き手としてはそれを望んでしまう。
とりあえず描いていたら何か浮かぶだろうと楽観視して、筆を走らせる。だがやはり納得いかない。もっと『何か』が欲しい。
しかしいい加減地紙を無駄にするのも虚しくなり、扇屋は筆を置いた。ばたんと仰向けに転がる。
身を横たえた途端、眠気が襲ってきた。そのままとろとろと眠気に任せる。
そういえば油が無くなりかけていたか。先日猫又が舐め尽くしていった所為だ。お礼でありんす、とか言って雀を置いていったが、雀を貰っても扇屋としてはどうしようもない。埋めてやる手間が増えただけだ。油持ってこい油。
そんな事を考えているうちに、本格的に寝入ってしまったようだった。
ふいに聞こえたぴちゃりと鳴る水音で、扇屋は目を覚ました。何やらぬるぬるしたものが体中を這い回っている。
「おや、お目覚めでやんすか」
「お目覚めだよ馬鹿野郎!」
圧し掛かる幼女を押しのけ、扇屋は体を起こした。勢いで幼女はごろんと転がり、文机で頭をぶつけていた。
「あいた。何でえ、ケチくさい。あちきと旦那の仲じゃあございやせんか」
「うるせえよ。あーもー、べっとべっとじゃねえか気持ち悪ぃ。垢舐めなら垢舐めらしく大人しく風呂屋で垢舐めてろ馬鹿」
「嫌でやんすよ。生きた体から直接垢をこそげ落とすのが最近のトレンドなんでさぁ」
「はいはい。何でも良いから俺んとこ来んな。巣に帰れ」
あらかた体を拭き終えた扇屋は、垢舐めの首根っこを掴んで外へと引きずり出そうとした。
垢舐めは扇屋の手首を掴み、じたばたと抵抗する。
「ひどいでやんすよ旦那! あちきが他の男の垢をぺろぺろしても良いでやんすか!」
「うん」
「幼女のぺろぺろを喜ばないだなんて……。もしや旦那……っ、インp
「あ?」
「インコーナーを鋭く抉るようなとても据わった目つきでやんすね」
「そりゃどうもありがとう」
戸を開け、ぺいっと外に放り出す。垢舐めの鼻先でピシャリと戸を閉じると、垢舐めはひどいでやんすひどいでやんすとしばらくは鳴き声を上げていたが、それもじきに聞こえなくなった。
ふう、と一息つく。
「ひどいでやんすよ旦那」
「何でいるよ!」
「あちきだって妖怪でございまさぁ」
にやりと、垢舐めは笑って見せた。何だか目が据わっている。
嫌な予感がした。
垢舐めは据わった目のまま、じりじりとこちらに歩み寄ってくる。反射的に扇屋は後ずさるが、しゅるりと伸びてきた垢舐めの長い舌に足を取られ、尻餅をついた。
「旦那が悪いんでさぁ。あちきだって本当はこんな事したくはございやせん」
「じゃ、じゃあやめろって。な?」
しゅるしゅると舌は脚に巻きつき、更に拘束を固くする。お前どうやって喋ってんだ。心意気か。
「あちきが旦那に惚れこんでいるのを知りながら、他の男をぺろぺろしろだなんて……。旦那はひどい男でやんす」
垢舐めは扇屋の肩口に両手をつき、扇屋を押し倒した。後頭部をしこたまぶつけたが、痛がっている場合ではない。
扇屋の腹に跨った垢舐めは、両手を顔の前にかざしてみせた。すると爪はまるで舌のようににゅるにゅると長く伸び、それまでもが扇屋の体に巻きついてくる。
「ぎいいやあああ気持ち悪ぃ! おま、爪は爪だろ! 爪まで舌化とか、おま、や、ひぎゃああああ!」
「新しゅうございやしょう?」
「待て待て待て待て幼女がお前、こんな、ちょ、待てっておい。こんな、ちょ。幼女自重しろし、やめ、ぅわ」
「お仕置きでやんすよ」
「ひぃ……っ」
いやあらめえと抵抗してみたものの、垢舐めは自重も容赦もしてくれなかった。
翌日、扇屋は絵を描いた。
十一本の触手にみだらごとをされる女の絵だ。
若旦那は馬鹿笑いして、おおはしゃぎしていた。
扇屋は、何だかとても泣きたかった。