天使の言い分 12
残りの時間は、そりゃもうすんごい苦痛だった。
佳代はあからさまにおれを避けるし、それでおれは凹むし、自己嫌悪だし。
ようやく終わって着替えて外出て、まさしく熱帯夜な蒸し暑さに、思わず舌打ちなんかしてみたり。
わあ荒れてるね洋平さんや。妙にどっかで冷静な自分が、自分に突っ込みを入れる。
溜息吐いても舌打ちしても、腹の底に溜まったもやもやいらいらは外に出てってくれない。溜まる一方だ。
何であんな事言ったかな、とか。何であそこまで言われなきゃなんないかな、とか。
そういう気持ちが溜まって溜まって、腹の底でぐるぐるしてる。
だとか色々考えてぼんやりしてたのか、おれの足は気付けば我が家に向かっていた。
……おれのアホ。今晩は漫喫泊まろうって思ってたのに。
こっから漫喫行くには、今からじゃ結構めんどい。つか、我が家を目の前にして、わざわざ別のところに行くってのが、何かアホらしい。
どうしようか。帰ったら、多分まだ理絵いるんだろうしな。
んー……。
ま、一回行ってみるか。もしかしたらいなくなってくれてるかもしんないし。
と、僅かな希望を抱いて、アパートの階段をのぼる。深夜なのでなるべく足音立てないようにつけて。
ドアノブを回す。……鍵の手ごたえに、おれは肩を落とした。まあ、いるだろうなとは思ってたけどさ……。
……やっぱ漫喫行こう。めんどいけど仕方ない。
ドアノブから手を離したちょうどその時、ドアが開いて中から理絵が顔を覗かせた。
「あ、やっぱり洋平くんだ! おかえり!」
理絵は満面の笑みで言った。ちゃんとおれの芋ジャージを着てくれている事に安心する。
けど、呆れた。無用心だろ。
「……お前なあ、おれじゃなかったらどうするんだよ」
「こんな時間にドアがちゃがちゃさせるのなんて、宿主くらいでしょ?」
「まあ、そうだろうけど……。もし変態とかだったらどうすんだ」
「洋平くん、変態さんに狙われてるの?」
「狙われてません。じゃあ、おやすみ」
「あ、待って!」
背中を向けようとしたおれの手を、理絵がぐいと引っ張る。バランス崩したおれは、理絵もろとも玄関口に倒れこんだ。
……あー……、何か、こういう展開、何かのマンガで前に読んだわ。
でも幸いな事に胸も揉んでなければパンツも見えてない。まあジャージなので、パンツは見えようがない。
しかしいざこういう展開になったら妙に冷静になるもんなんだなあ。いたーい、とか言ってる理絵を見おろして、ぼんやりと考えた。
つか、おれも痛い。主に膝が。あと肘も。結構思いっきしぶつけた気がする。下の住人さんごめんなさい。
「……こんな展開ほんとにあるんだね」
呆然とした声で理絵が呟く。全くな。
どっこいせ、とオッサンくさい掛け声と共に体を起こ……せなかった。
理絵ががっちりとおれの首に腕を回してくださっている。
「……理恵サーン?」
「せっかくだから、お約束な展開になっちゃっても良いんだよ?」
「せっかくですが、おれは何度もお断りだっつってんだろアホ」
いい加減鬱陶しいって。
ああ駄目だ。いらいらが抑えらんない。さっき転んだ拍子に、どっかに穴でも空いたかな。溜まってたいらいらもやもやが一気に噴出していくのを感じる。
「いい加減にしろよ。おれが本気でお前犯したらどうすんだ。それでもしガキできたらどうすんだよ」
さっきまで悪戯っぽい目で笑ってた理絵が、きょとんとした顔でおれを見上げてる。
「それで生んだガキにさ、あんたなんか生まなきゃ良かったとか、絶対言わないってお前、誓えんのか?」
言う方は良いよ。酔ってたから、とか、いらいらして思わず、とか、理由なんていくらでもつけられんだから。
でもさあ、言われた方はマジたまんないよ? んな事言われても、生んだのはそっちだろ? 考えなしにセックスしてガキ作ったのはお前らじゃんか。おれにどうしろってんだ。死ねば満足すんの?
「ふざけんな」
体起こして、理絵に背を向けて座る。
何か妙な脱力感だ。理絵に言ったってどうしようもないし、そもそも、今更だ。
煙草に逃げちゃいた気分だけど、ライターが無い。いや、例のジッポが有るには有るけど、使うのもビミョーだし。
どっか買いに行くかな。でも何かすんげえだるい。もう動くのやだ。眠い。寝たい。何も考えたくない。
「……ごめん、なさい」
ぽす、と背中に軽い感触がした。振り返ると理絵がくっついてるのが見えた。
「考えなしだった。ごめんなさい」
……あ、何か、背中あったかい。人肌ってすごいねえ。
何か言いたいんだけどもさ。でもさっきの脱力感が今もまだ残ってて、口を動かすのも億劫だ。つかまあ、何て言や良いのかも分からんのだけども。
そんでどうにかこうにか口にしたのが「眠い」の一言。
「あ、だ、だめだよ洋平くん。寝るならベッドで寝よ?」
良いよめんどいし。夏だしここで寝ても風邪引かんよ。逆に床冷たくて寝やすいし。冬場は最悪だけどさ。
「だ、だめだって……。えと、何かかけるもの……」
そんなん良いって、別に。
んじゃ、おやすみ。