墓所である。鼎宵殿の近くに存在する、四方を森に囲まれたその広場は、代々の日生の者たちが眠る墓所である。
そして目の前にそびえる水晶の柱は、墓標である。金銀が鮮やかな台座の上に立つ六方柱状のそれは、墓標である。この下に、代々の日生の者たちが眠っている。
真昼であった。しかし厚い雲に邪魔をされて、晩秋の日差しは陰気な表情をしていた。その陰気な日差しの下、彼は立っていた。墓標の前に、どこか陽気にも見える薄笑いを浮かべて、彼は佇んでいるのであった。
名を、斉藤汀という。男である。三十をいくつか過ぎた程の、細身の男だ。ほとんど白に近い薄茶の髪を、なぶられるままに風に任せて汀は墓標の前に立っていた。
茫と墓標を眺めてどれくらいになるのか、汀自身分かっていなかった。今朝の見回りから帰ってきてからずっとになるから、中々に長い時間をここで過ごしている気がする。そろそろ冬を迎えようとする里の風は冷たくて、指先は確かな痛みを訴えているようだった。手と手をすり合わせて暖を取ろうとしてみたものの冷たさはそのままで、汀は薄く笑みを浮かべたままに首をすくませるのであった。
何か目的があったわけではない。何とはなしに、訪れてみようかと思っただけだ。在りし日の彼らに出会えるわけではないと知っているが、ここに立てば、彼らの生を確かに感じる。それは愉しいようでもあり、虚しいようでもあった。
特に気にかけていなかったが、周囲には数名の民がいた。そういえば足音が近づいたり離れたりとしていたから、入れ替わり立ち代りに民がこの場を訪れているのであろう。彼らは墓標の前に花を供えては、哀惜の想いを視線に乗せて、柱を見つめるのだ。時折、名を呼ばう者もいる。
与四郎様、と。
彼が死して六年になる。与四郎は先代の焔であった男だ。六年の昔、彼は凶賊の手によって殺された。
と、されている。
きょうぞく、と汀は心中で繰り返す。だからといって、汀が何かを深く想ったというわけではない。ただ、そうか凶賊かと思っただけだ。凶賊によって殺された。焔たる日生与四郎は、凶賊の手によって命を奪われた。
凶賊。きょうぞく。
歌うように心の中で繰り返しながら、汀は墓前を離れた。凶賊。その響きは、どことなく面白く感じられた。
鼎宵殿の自室へ戻ろうと、高下駄を鳴らしながらのんびり歩く。ひとつ、くしゃみをした。どうやら体は冷え切っているらしい。熱いほうじ茶でも飲めば、きっと美味いのだろうななどと考える。
その道中、がさりと何かがうごめくような音を聞いた。茂みの向こうからその音は聞こえた。ひょいと覗き込めば、そこには人がいた。茂みに身を隠すようにして、伏した体を丸めている。
「おや、まあ」
見覚えのある姿だった。美しくけぶる蜜色の髪は、知りすぎる程に知っている。
「こんなところで、何をされていらっしゃるんです、か?」
茂みを跨ぎ、汀は彼の側に歩み寄る。
「若さま」
と、呼びかければ、加羅は紅緋の目で汀を睨め上げた。だがその目には、いつものような強さは感じられなかった。白い肌は青白く、唇にも色が無い。見るからに具合が悪そうだ。
ふ、と汀は小さく笑みを漏らす。今朝方、共に見回りに付き従えさせた時は、そんな様子は感じられなかった。ずっと、無理をしていたのだろう。その時は気づかせる隙など、全く無かったが。
だというのに、今やこの様だ。まるで蓑虫のように体を丸めて、無様にも地に伏している。少し離れた場にある吐瀉物が汚らしかった。
「無様です、ね」
殊更に優しい声を投げかけて、汀は加羅のすぐ側に膝をつく。力なく投げ出された手を取って、ぐいと引っ張った。されるがままに体を起こした加羅は息をするのもつらそうで、抵抗する気力も無いようだった。
「良かったです、ね。見つけたのがぼくで。もしも二吼にでも見つけられていたら、大変だ。こんなにも情けない姿を目にしたら、きっと、幻滅するでしょう、ね。ああ、だからこんなところで転がっていたのです、か? 見られないように? あわれです、ね」
うなだれた首筋には冷や汗が浮かび、砂の粒が張り付いている。
「与四郎さまは、こんな無様な姿を晒したりしませんから、ね」
掴んだ加羅の手はひどく冷たい。
「なあんて、ね。嘘です、よ。与四郎さまは、つらい時はつらいと、口にするお方でした。弱さをさらけ出せる強さを、お持ちのお方でした、よ」
加羅の唇が、何かを口にしようとして開く。それを遮るようにして、汀は言葉を重ねた。
「ふふ、嘘です、よ。与四郎さまはお強い方でした。とても、とても、ね。どれだけつらかろうとも、弱さなど、欠片も見せないお方でした。いつだって、毅然としていらした」
ひゅ、と加羅の喉が鳴った。次いで、ひどく咳き込む。無意識にだろう、加羅は自由な片手で口を押さえた。その手の隙間から、咳の合間に苦しげな息を漏らす。
「さて、どちらが真でしょう、ね?」
「……はなせ」
「おかわいそうな加羅さま。どれだけ姿を真似ても、あなたは与四郎さまにはなれっこないのに」
振り払おうとしたのだろう、加羅の手に力がこもる。汀はそれを難なくいなして、握る手に力をこめた。
「みじめです、ね」
荒い息を吐き出しながら、加羅は歯を食いしばり汀を睨む。紅緋の目には、僅かに涙の膜が張っていた。ままならぬ呼吸の所為だとは分かりながらも、それは彼が零した弱さにも思えて、汀は愉快な気持ちになる。もしかすれば、これは優越感というものなのかもしれない。
ぐ、と手を引く。倒れこんだ加羅は、汀の胸元に手をついて体を離そうとした。だが思うように力が入らないのか、握る拳は微かに震えている。すぐにまたひどく咳き込む加羅の髪に手を伸ばして、汀は金糸の髪を一つに束ねる綾紐をほどいた。結び目の残る滑らかな髪に指をもぐりこませ、まるで跡を消すようにして髪を梳く。
「あなたは、与四郎さまじゃない」
至近に見る濡れた紅緋が、微かに揺らいだ。そろりと伸ばされた加羅の指が、汀の喉に触れる。ほんの小さく爪を立て、加羅の腕はだらりと落ちた。意識を手放した身体を、汀は支える。
冷たい指先に触れられた喉が、熱く思えた。冷え切った指先は、すがるようにも、縊り殺そうとしているようにも思えた。