雪斗は華芸町に在った。
腕の傷は随分とマシになった。生活に支障は無い。だが、まだ傀儡を操れるほどには回復はしていなかった。
雪斗は群衆の中に在る。雪斗のまぎれた群衆の視線の先は、傀儡師だった。
黒子衣装で顔は見えぬが、声はまだ若い。雪斗と変わらぬ歳だろう。
彼は上手く娘人形を舞わせていた。群衆は熱心に彼の傀儡舞を観ている。
雪斗の心は穏やかでなかった。
(あいつとオレと何が違う)
(オレの舞の何が悪い)
じっと、目を注ぐ。
傀儡師が娘の操作を誤った。一見して分からぬ程の小さな失敗だが、同業の目からすると悔しい失敗だ。
若い傀儡師の唄が少しだけ乱れた。
雪斗は笑みを浮かべている己に気付いた。手のひらで口元を覆う。
醜い。
人の失敗を喜ぶ己の、何と汚い事か。
傀儡舞が終わる前に、雪斗は一群を抜けて自宅へと向かった。
件の騒動の後、雪斗はすぐに師である優里のもとへと向かった。
断られる事も、聞き入れられぬ事も覚悟の上で傘持ちを頼み込んだ。
側で見させてほしい、お願いだ、と頭を下げた。
優里の返答は、今は傷を癒す事に専念しろ、との事だった。
嬉しかった。否定されなかった。嬉しかった。
自宅に戻るなり、雪斗は布を広げた。舞衣装を新しく仕立てているところだった。
刺し綴る最中、腕の傷が痛んで声を漏らした。包帯の巻かれた腕を、ゆっくりと撫でさする。
少年を殴った手は、青じんでいた。もう痛みは無いが、今もまだ鬱血が残っている。
腹が立ったのだ。
しばらくは傀儡を操れぬと思ったら、どうしようもなく腹が立った。
少年の笑い声が癇に障った。腹が立って仕方がなかった。
『大事な手でしょ』
須桜はそう言ってくれた。
止めてくれた事を感謝している。本当に、ありがたく思う。
雪斗は両の手を見おろした。
痛かった。腹が立った。
傀儡にしばらく触れられぬと思ったら、もうどうしようもなかった。
自分がいなくなっても、いくらでも代わりはいる。自分より上手い傀儡師は何人もいる。雪斗一人が傀儡舞をやめたところで、誰も気にしないだろう。
だがそれでもやはり、雪斗は傀儡を舞わせていたい。
痛みの中、浮き彫りになった怒りの先に、雪斗は己の望みを見た。
自分は未熟だ。足を止めてくれる客も少ない。誰も足を止めぬ日もある。誰かの暇つぶしにすらなれぬ。
若い同業者に妬心を抑えられぬ。消えてしまえとすら思う日もある。
客を恨む日もある。自分の舞の良さを分からぬとは馬鹿な客だと、そう思う時すらある。
醜い。
(まあ良い)
評価を求める己も、とにかく何だって良いから傀儡に触れていたいと思うのも、同じ雪斗だ。
結局自分は、傀儡から離れられないのだ。
腕が治ったら、衣装が完成したら、次は戦物にしてみよう。間近に戦闘を見た直後だ。きっと上手くできるはず。
そう思えば胸が騒いだ。わくわくとした。情物とは謡いの調子を変える必要が有る。操る糸も、強いものの方が良いだろう。
先程の若い傀儡師よりも多く、客を集めてみせる。自分は失敗などしない。あんな初歩的な失敗などするものか。
雪斗は腕の痛みを堪え、運針を再開した。