まほらに候 1
一
華芸町は騒然としていた。普段は香具師たちが華やがす賑やかな界隈だが、今は物騒な空気が立ち込めている。
あちらこちらに瑠璃治安維持部隊乾第壱班の、濃灰色の制服が見えた。野次馬を押し返そうと悶着している姿も見える。
壱班の手にする赤提灯に行きかう人々の影が大きく揺らめき、妙に不安を煽るようだった。
橘莉功はどよめく人ごみを掻き分けつつ、騒動の中心へと向かっていた。
「待て、ここから先は……っ」
垣となっていた壱班の男が言いさして、はっとした面持ちになった。
「す、すみません! 部隊長殿!」
「しーっ。今の俺はただの一般人です」
莉功は現在、壱班の制服を身につけていない。薄物の着流し姿だ。
「いや、しかし、だとすれば、その、中には……」
「じゃ、帽子借りるわ」
ひょい、と莉功は彼の被っていた制帽を奪った。彼は慌てた様子だったが、やがて仕方ないといった顔をして、野次馬の整理に戻った。
奪った制帽を目深に被る。手早く襷をかけ、莉功は中心に立つ同僚に軽く手を振った。
三宅彰司は頷き、目顔で足元の死体を示してみせる。
血の臭気に、莉功は思わず顔を顰めた。職業柄慣れたものではあるが、それでもやはり心地良いものではない。
提灯の灯りに照らされる死体の顔を、莉功は腕を組んで見おろした。
二人とも青年だ。二十を幾つか過ぎたくらいだろうか。
一人は、顔を上下に真二つに分かつようにして斬り殺されていた。どろどろと溢れ出した血だの脳漿だのが、ぽっかりと空いた口にまで流れ込み、死相を赤黒く染め上げている。
もう一人は、腹を刺されて死んでいた。やや小太り気味の腹から柄が生えている。手には小刀を握り締めていた。
まだ血は乾いておらず、生々しい色を残したままだ。つい先程まで二人は生きて、動いていたのだろうと思われる。
「んー……、アレだわ。小物大将の腰ぎんちゃく」
「小物大将?」
「俺がつけたあだ名」
怪訝な顔をして聞き返してくる彰司に、莉功はわざとはぐらかすようにして答える。彰司は無言のまま、莉功の足の甲をダンと踏みつけた。
「……っいってえ! おま、思っきし踏むなよ!!」
莉功はぴょんと跳び上がり、踏まれた足を涙目で庇う。制服の
「お前が悪い」
恨みがましい莉功の視線を物ともせず、彰司は苛立ちに尖った声音で言った。長い前髪の隙間から暗い視線を送ってくる。
「もー、睨むなって。お前ただでさえ目に光なくて怖いんだから」
「うるさい。良いから早く話せよ」
「槙の腰ぎんちゃくだよ」
「……探していた相手ってわけか」
「ああ。見事に召されてらっしゃるなあ」
少しばかり前、まだ月が夜に浸かり始めた頃合の事だ。槙という男が死んだ。最近愛染街を騒がしていた荒くれ者だった。
その槙が死んだ際、腰ぎんちゃく二人も側にいた。が、彼らはその場から立ち去った。怯えたのか仲間を呼びに行ったのかは知れない。
莉功たち乾壱班は彼らを探していた。重要な参考人だ。
そしてその場にはもう一人、少年がいた。莉功たちと同じく、治安維持部隊の者だ。といっても彼は莉功たち壱班とは違い、特警と通称される武力特化された弐班の者である。彼らは有事以外は壱班と共に行動する事が多いので、莉功たちとも馴染みが深い。
また彼は、莉功も組みする鳥獣隊一員でもある。鳥獣隊とは瑠璃の里の跡継ぎ様である如月由月の、爪牙でもあり耳目でもある極秘部隊の者達の事だ。
この事は、彰司は知らない。莉功が鳥獣隊の一員である事も。弐班の彼がその実、昼行灯とも呼ばれる如月の次男坊である事も。
件の彼は、今頃壱班の保護舎で治療を受けているはずだ。
「しっかし、何があったんだろうねえ」
莉功は汗でずり下がってきた眼鏡を指先で押し上げる。彰司は爪先で軽く地面をとんとんと叩いていた。考えている時の彼の癖だ。
「……まず、甲が乙の腹を刺す。逆上した乙が甲の顔を斬りつける。乙はそのまま腹の小刀を抜く間もなく死んだ。……かな」
「ま、そんな感じだわな」
乙の方は、手に小刀を持ったまま果てている。側にはその鞘があった。二人が作り出した血だまりには、金貨と何かの包み紙が落ちている。
甲の側に落ちている金貨の枚数は、どうにも乙の側の金貨より少ないらしい。もめた原因はこれだろうか。
「でもさあ」
裾が血だまりに触れぬよう尻を端折り、莉功は甲の顔の側にしゃがみ込む。
「ただの荒くれおばかさんが、こんなに綺麗に斬れるもんかね」
それに、と乙へと視線を移した。
「こっちも。見た感じ、腹の傷一撃で死んでる。殺しに慣れてる感がさあ、半端ねえと思わん?」
彰司はフンと鼻を鳴らした。お前に言われるまでもない、と言いたげだ。
「お前の言いたいように、仮に第三者が犯人だったとしても、捜査はされないだろうな」
「だろうねえ」
二人相打ちでけりのつく話だ。いるかいないか分からない第三者を探す人員を、嫌われ者の荒くれ者の為にわざわざ割くほど、壱班は綺麗でも優しくもない。
「それにしても、こんな芸当ができる人間……」
顔面を真二つにされた甲を見おろし、彰司が呟く。とんとんと地面を叩いていた爪先はやがて止まった。立ち上がった莉功を彰司はちらりと見てくる。
おそらく、思い浮かべた相手は同じだ。
「……紫呉君の傷の具合はどうなんだ」
「あ、彰司んとこにも連絡いってたのな。……んー、俺も来る途中にちらっと見ただけだからなあ」
今ここにこうして壱班が集っているのは、彼のおかげでもあった。
紫呉の指笛を聞きつけ、付近の住民が駆けつけた。聞いたところ、喧嘩のような物音はずっと続いていたらしい。だが酔漢の喧嘩だろうと思い、放っておいたとの事だ。
だがその後に続く、甲高い指笛が尋常な様子ではなかった。絶え間なく続くそれを不審に思い外に出ると怪我人を発見し、慌てて壱班を呼びに走った。そして集った壱班が周囲を警邏している最中、二人の死体を発見した、という次第だ。
「まあ、遠目に見た感じ芳しくはなさげな感じだったけど」
それに、ちらりと見えたあの赤毛の少年は、確か青官長の息子だ。彼もまた傷を負っていた様子だった。
彰司は痛ましげに眉を寄せている。
「それで、保護者には連絡が行ってるのか?」
「あー、そりゃ行ってるっしょ。俺ら部隊長に連絡来てるくらいなんだから」
端折っていた裾を元に戻す。血相を変えた『保護者』の様子が目に浮かぶようで、莉功は僅かに苦笑を浮かべた。
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