流動する虚偽 12
紫呉は汗一つかいていない。呼吸も乱れていない。
「良かったんですか? 得物は刀で」
腰に刀を差す影虎に、挑発的な声が投げかけられる。
「槍持った俺にお前が勝てると思ってんの?」
負けじと挑発を投げつければ、紫呉はふんと鼻で笑い飛ばした。
「売られた喧嘩は勝ちますよ?」
「やってみろよ」
戯れのような挑発の応酬に、二人は同時に吹き出した。
紫呉は刃を鞘に納めこちらを見据える。先程の戦闘のおかげで宿った熱が見えた。楽しそうだ。
保証されているからだろう。自分は死なない。相手も死なない。力と力、技と技の勝負。そう思っているからこその感情だ。
ざわざわと肌の下で熱が燻っている。乾いた唇を舌で湿す。
鐘の音と同時に、影虎は鯉口を切った。
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男は思いの他に骨が無かった。もっと吠えてくれると思っていたのだが。
しかし男のおかげで火のついた闘争欲は消えない。丁度よく影虎の姿を見つけ段上に誘った。
影虎はこちらに踏み込み、ぐっと腰を落とした。打刀を手にした腕を後ろに引く。
影虎の突きを後ろに飛んで避け、紫呉は抜撃ちに斬りつけた。が、避けられる。余裕の笑みを浮かべる瞳が腹立たしい。
腹を狙って突く。身体の軸となる胴部は躱し辛い。しかし影虎は物ともせずに軽く腰を捻って躱した。
踏み込み、返し手で薙ぐ。避けられ腹を柄で突かれた。咄嗟に逆の掌で受け止める。そのまま柄をぐいと引っ張り、身を翻して影虎の後方に回る。
影虎は前転して紫呉の突きを躱す。起き上がりしなに斬り付けられる。それを弾き、真一文字に薙いだ。
一度影虎とは敵として戦ってみたかった。どうせなら、得意とする槍を選んで欲しかったというのは贅沢か。
道場で対する事は有る。しかしそこに明確な勝敗は無い。いくら手を合わせようとも味方と味方。敵味方にはなりえない。
敵味方として戦い、彼を負かしてみたい。そうでないと彼を越えた事にはならない。
蹴りを避ける。珍しい。影虎が直線的な攻撃を加える事は普段は無い。
「お前の真似だよ」
拳を受け止め力を流す。投げ飛ばすが綺麗に受身を取られてしまう。
「俺の真似か? 下手くそ」
「そちらこそ」
上段から打刀を振り下ろす。受けられ鍔迫り合いとなった。わざと力を抜く。影虎が均衡を崩し前のめりになった隙に背後に回った。が、読まれていたのか斬撃は避けられた。
未だ屈んだままの影虎の後頭部目がけて踵を落とす。腕で止められる。足を捉えられる前に素早く離れた。
立ち上がると同時に横薙ぎに払われる。それを刃で受け止める。その衝撃に、掌だけでなく腕までもが痺れた。
自分は如月で、影虎と須桜は二影。自分を護り、自分の為に死ぬ存在。
いくら紫呉が護られる事を厭うても、その為に在るのだからと二人は聞かない。
ならば、護られなければ良いのだと思った。二人が身命を賭す必要も無い程に、強く在れば良いと思った。
幼い頃に抱いたその思いは今も変わらない。むしろ強く育つばかりだ。
支暁殿に籠っていれば、自分も二影も危機に晒される事は減るかもしれない。
だがそれでは嫌なのだ。
それは自分の我儘だ。甘えだ。分かっている。分かっているがしかしそれでも、己の無力を嘆くのはもう飽きた。強く在りたいと願うのはもう飽きた。
力を欲しても誰も与えてはくれない。ならば、自分で掴みに行くまでだ。その過程に二影を巻き込む事になったとしても。
顔の横を影虎の踵が通り過ぎる。風を切る音がした。
眼前に拳が迫る。避ける。足を払われる。それに抵抗をせず、重力に任せ横に倒れた。
転がって距離を取る。隙を窺う。
影虎はだらりと力を抜いて刀を引っさげている。なのに隙と言う隙は見えない。迂闊に近寄れない。
(くそ……)
これでは護るななど、口が裂けても言えない。情けない。
身を起こし、首筋を狙って振り下ろす。空を斬った。
口惜しい。自分は己の黒器とそう変わらぬ打刀を使っている。なのに勝てない。影虎は得物と違う武器を手にしていると言うのに。
顎を蹴り上げる。だが足を取られ投げられる。受身を取って身を起こす。その直後、自分の頭部が有った位置を刀が通り過ぎていった。
紫呉は自分の攻撃が直線的なものばかりになっている事に気がついた。相手の技を真似る暇などない。
しかし、影虎は変わらず自分の真似ばかりしてくる。余裕の表情は崩れない。
(腹の立つ)
越えたい。彼を負かしたい。圧倒的に打ち負かし、護るなと、無用だと笑って言ってやりたい。
体が熱い。
心臓がうるさい。
余裕などとうの昔に爆ぜ飛んでいる。
鋭い突きが頬を掠めた。
僅かな痛みが走る。
影虎がにやりと笑った。目を狙って突きを繰り出してくる。
目の次は首。首の次は心臓。急所ばかりを狙ってくる。
(殺すつもりか)
いくら刃を潰してあるとはいえ、急所を狙われたら致命傷となる。
笑みを浮かべる影虎の視線に肌を焼かれる。
皮膚の下で滾る熱がじりじりとざわめく。
頬をぬるりと血が伝った。手の甲で拭う。
赤く血が甲を汚す。ゆっくりと舐め取った。鉄錆びの味がした。
(……ふざけるな)
どこかで何かが焼き切れる音がした。
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