家族哲学 5
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二
屯所の門をくぐるなり、首の鈴を揺らして黒豆が駆け寄ってきた。
が、いつものように足に擦り寄る事はせず、低く一声鳴くと背を向けて去って行ってしまった。
何なんだと首を傾げる紫呉だ。少しばかり衝撃である。
「あ、紫呉おかえりー…って臭っ」
須桜は眉を寄せて鼻を摘む。そしてもう片方の手を、紫呉の懐にずぼりと突っ込んできた。
「あの」
「まあこれだけ有ったら臭くもなるわね」
紫呉の懐から、須桜は紙に包まれた大麻煙草を取り出した。
「どこで買ったの?」
「愛染街の、河川の周りに居酒屋が密集している場所があるでしょう? あの中の一店です。ところで影虎は?」
「まだ帰ってきてないわ。いつ戻るか分からないから、一応あたしがご飯作ったんだけど」
「ありがとうございます」
食堂の座卓の上には皿が並べられていた。
適当な大きさに切られた野菜と、その隣には味噌。少し焦げた卵焼き。妙に水分を多く含んだ飯粒。
「こういう時影虎のありがたさを知るわねー」
「いや、これでも充分僕より上手だと思いますよ」
何せ、自分は料理の仕方なぞ全くと言って良いほど知らない。野菜を洗う、切るぐらいの事はできるが、飯の炊き方など良く分からない。野営時には丸薬などで済ませる事がほとんどだから、それで困った事は特に無いのだが。
席に着くと同時、襖がすらりと開く。
「影虎ただいま戻りましたー…って臭っ。この部屋何か臭えよ。何だこの臭い、葉っぱ? と、メシの匂いが混ざってすげえ」
言いながら影虎は、換気のため襖や窓やらを開け放した。
席に着き、影虎は並べられた料理を見て、ふんと鼻で嗤う。
「肉か魚が足りねえ」
「……だって買いに行かなきゃ無かったんだもん」
「アラアラ。言い訳の前に謝る事もできないのかしら須桜さん?」
困ったものねぇ、と影虎は妙なシナを作りながらお茶を注ぐ。
「うるさい小姑。だったらもっと早く帰ってきてよ」
「俺は今まで忍んでたんですー」
と、懐から紙を取り出す。
「見取り図?」
「ああ。まだ中には入ってねえから大体のな。歩数と、床下潜ってみて柱の感じで書いてみた」
「どこの見取り図ですか?」
味噌をつけた胡瓜を頬張りながら、紫呉は見取り図を卓上に広げた。
「吉江邸。薬問屋の本宅だな。何か隠してるっぽいからさ」
焦げた卵焼きに不服そうにしつつ、影虎は吉江邸に忍ぶまでの経緯を語った。
「では、三日後はその矢口氏の代わりに影虎が掃除夫として中に潜入すると。で、その次は……」
「無理だろうな。流石に二回連続ってのは連合に怪しまれる」
「なら、それまでにケリをつける必要が有る、という事ですね」
「だな。ま、こいつが当たりだったらって話だけどさ」
「そうですね。須桜の方はどうでしたか?」
須桜はもぐもぐと咀嚼しながら、少し待ってくれ、という手振りをした。お茶で流し込みこちらに向き直る。
「保護された三人のうち、一人はもう既に矯正施設に送られた後だったわ。つまり、それだけ症状がひどいって事なんだけど……」
口元に軽く握った拳を当て、須桜は俯く。
「大麻だけならこんなにすぐに矯正施設行き、って考えがたいわ。きっと、他の何かにも手を出していたんだと思う」
「手を出していた?」
「うん。保護舎の子二人の様子を見てきたんだけど、一人目は大麻汚染のみだった。もう一人は、有機溶剤を使用した痕跡があった。これっておかしくない?」
「……だな。両方与えてたってんなら、二人とも同じ症状が出る」
「そう。だから『手を出していた』。……まあ、三人ともが同じ組織に関与してるって事を前提にするならね。これで、三人が三人なんら関係のない別の事件に巻き込まれたって言うなら、おかしくもないんだけど」
「そうか。そういう可能性も有るんですね……」
「でもよ、三人の行方不明届け出されたのが、皆だいたい四年前だろ? 確か吉江が薬問屋継いだのがその頃だ。……いや、俺がこいつが怪しいって思ってるから、おかしいって思うだけかもしんねえけど」
「どうなんでしょうね……」
少女達の行方不明届けが出されたのが四年前。
その少女達が揃って、愛染街で薬に漬かった状態で発見された。
三人中二人は、複数の薬物の使用が見られる。
怪しいと考えられるのは、愛染街付近の富豪宅。
その中の吉江邸は、掃除夫が何かを隠しているようだ。
そしてその吉江が問屋を継いだのは四年前。
少女達が姿を消したのと同じ頃。
「……あたしよく分からないのよ。もし何らかの組織が何らかの目的で女の子を浚って、何らかの目的で大麻に漬けたとする。で、どうして捨てる必要があったの? 大麻なら急性中毒による死亡もない。暴れたりとかも特にない。手に負えなくなったから捨てた、ってのは考えにくい」
須桜は早口に捲くし立てた。
「……だからって、大麻が無害とは言わないけどね」
興奮した自分を恥じるように、須桜は片手で顔半分を覆い、大きく息を吐いた。
「ごめん。ちょっと、義憤にかられちゃった」
茶化した表情を浮かべてお茶で口を湿してから、それで、と須桜はこちらに視線を寄こす。
「紫呉はどうだったの?」
「ええ。先程から臭い臭いと言われているその大麻なんですが、浅葱から聞いた売人から買ったんです。そうしたら、『田中の使いか』と聞かれました」
「田中!?」
影虎が身を乗りだす。彼が驚くなど珍しい。少し面食らい紫呉は身を引いた。
「や、悪い」
影虎は気まずそうに咳払いをしてから、苦笑を浮かべた。
「……吉江んとこの警備頭がさ、田中っつーんだけど、これは偶然か?」
はっと息を呑む音が部屋に響いた。
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