家族哲学 4
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(次はここだな)
薬問屋吉江の本宅。
高い塀に囲まれた豪奢な家屋を、影虎は手庇を作って眺める。
門番の警備員が不審げな表情をした。それに軽く頭を下げ、影虎はそそくさとその場を去った。大きな館に気を取られ驚いた、小心な民草に見えてくれただろう。
影虎は愛染街周辺の、富豪の家を調べまわっていた。
大麻の相場はモノによってそれぞれだが、安いものでもやはり高い。
少女達を蝕むほどに大量に、長期的に与えられるという事は、金銭的に困っている、という事はないだろう。
かつ、少女達が発見されたのは愛染街。
色街に少女を捨てたのは、見つけにくくする為だろう。あの場所ならば、人々は他人に無関心だし、薬で多少様相がおかしい人物も目立たない。
今回だって巡回中の私服壱班が気付かなければ、少女はあのまま街で狂っていただろう。
薬に漬かった人物を、遠くから連れてくるとは考えにくい。徒歩にせよ俥にせよ、人々の記憶に残ってしまう。
ならば、本拠は発見された現場の近くと考えるのが妥当だ。
これらの事から考えるに、愛染街周辺の富豪が犯人候補として上げられる。
(ま、他にも色々考えられるけどとりあえずはな)
影虎は地面を軽く蹴って、塀に登った。有刺鉄線が張られていたが、右足は義足であるため気にならない。
庭に降り立ち、木立に身を隠す。
(結構に厳重だな)
塀の有刺鉄線と言い、門番の警備員と言い。
影虎が愛染街周辺の富豪宅を回って、この屋敷で五件目になる。五件の中で、一番警備が厳重なのはこの屋敷だ。
庭を見回る警備員は私服だ。警備をしている、というよりもただ単に庭を散策している、といった方が正しく思える。
(雇われ警備員かね)
だとしたら付け入りやすい。雇い主と警備員との繋がり、警備員と警備員との繋がりは希薄だろうから。
だが侵入・接触するにはまだ早い。警備体制をもう少し見守る必要が有る。
影虎は本格的に、木立に腰を落ち着けた。
庭の警備周期はだいたい分かった。彼らは庭を回った後、奥の詰め所に向かい報告するようだ。
そしてその後元の持ち場に戻り、警備を続行、もしくは次の警備員と交替をする。
(あとは中なんだけどな)
屋内も同じ警備体制とは限らない。確認したい。どうにかして中に入れないものか。
と、一人の壮年の男性が中から出てきた。
押し車には箒やハタキが有る。男性は門番兵に小刻みに会釈を繰り返し去って行く。
影虎はにやりと笑い、彼の後をつけた。
男性は『掃除士連合』と扁額の掲げられた一軒に入っていった。影虎もしばらくして、何食わぬ顔でその後に続く。
「ご苦労様です!」
受付の若い男に続き、皆が声を揃えて叫ぶ。影虎を部外者とは思っていないようだ。
制服なども特に無いようだ。皆それぞれ好きな服装をしていた。年齢も様々である。
先程の男性は、奥で名前の書かれた札を裏返していた。どうやら彼の名は矢口というらしい。
次の矢口の勤務日は三日後。本日と同じ邸宅だ。その次の勤務日も三日後、同じ邸宅である。三日周期のようだ。
(こりゃ丁度良い)
矢口は受付にぺこぺことお辞儀を繰り返しながら去って行く。
(ちょっとごめんなさいよ)
影虎は誰のだか知れぬ名札を裏返し、矢口に続いて連合を後にした。
猫背気味の矢口をつけ、矢口が丁度人通りの多い通りに出た瞬間を狙い、声をかける。
「すんません矢口さん!」
「はい?」
走って追いかけてきた、という風を装って影虎は言った。
「あ、あの、俺、新しく入った影山って言います」
「はあ……」
矢口は人の好い顔を疑問に曇らせる。
「あの、俺ちょっと最近金欠でして……。良かったら今度の勤務、代わってもらえませんかね……?」
頭を掻きながら、上目に矢口を窺う。
「って言うと、吉江さんの所か。……私は別に構わないんだが……」
矢口は眉を寄せ、腕を組んだ。
「って言ったら、難しいお方なんですか?」
「いや、難しいと言うかね……吉江さん自体はその、人の好い方なんだが……」
矢口は唸りながら俯いた。
(何かあるのか)
影虎は笑いそうになる頬を抑え、気の弱い青年、といった表情を作り出した。
「えっと……何かややこしい感じなんですかね? じゃあ、すんませんけど他をあたってみるんで……」
「いや、ま、待ってくれ!」
慌てて矢口は手を振る。
「吉江さんは金払いも良いし、うん、良い方だよ!」
「えー……」
わざと逡巡した素振りを見せる。
「お金に困っているんだろう? なら、ね?」
「……そっすか。じゃあ、次の勤務代わってもらっても良いスかね?」
「良いとも!」
明らかに矢口は気が楽になった、という風情だ。
「んじゃ、三日後のは俺が行かせてもらいますね。あんがとうございます!」
「いや、構わないよ」
「上には俺から言っときますんで」
ああ、と一つ頷いて矢口は影虎に背を向けた。その背に、失礼しますと一声かけ、影虎は群衆に紛れる。
(いったい何が有るのやらね)
楽しみにしてますよ吉江さん?
ふっと笑い、影虎はもう一度吉江邸を窺いに身を翻した。
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