家族哲学 2
**********************************************
壱班の保護舎だ。
少女の薄く開いた口元から、茶色く汚れた歯が覗いていた。歯を支える歯茎も赤く爛れてしまっている。
麻の単衣から覗く痩せた体は、あちらこちらに引掻き傷が残っていた。
木格子の向こう、少女は粗末な寝台に横たえられて眠っている。夜灯りがその姿を照らしていた。
(ひどいわね)
格子に手をかけ、眉根を寄せる。思っていた以上に少女の容態は悪い。
つい先程の事だ。
紫呉の兄、
由月の話を纏めると、こうだ。
壱班に行方不明者として届けを出されていた少女の目撃証言があった。
少女は保護されたが、様子が尋常ではない。麻薬の所為だ。
行方不明者届けが出されていた、かつ、薬漬けとなった少女の目撃は三件にのぼる。
少女達が行方不明者として届けが出されていたのは、揃って皆四年前。
その時と今ではずいぶん面変わりしており、当人だと照合するのに時間を要したという。
少女達は哀れなほどに痩せ、声も嗄れ、薬の所為でまともな様相をしていなかった、との事だ。
行方不明者が発見される事はあるだろう。
発見された行方不明者が薬漬けになっている事もあるだろう。
だが、それが皆少女で、皆が皆同じように愛染街で発見されるのは不自然だ。
そして行方不明届けが出されていた時期が重なるのも。
偶然かもしれない。だが、偶然と考えるより何か裏が有る、と考える方が自然である。
(誘拐された、とか)
誘拐し、薬漬けにし、手に負えなくなったから捨てた。
考えられる可能性として一番高いのはそれだ。
ならば、誘拐したのも薬漬けにしたのも同組織と考えられる。
そこで、鳥獣隊に指令が下された。
組織の壊滅。
須桜は腰かけに座り、首を捻る。
(けど何で今なのかしら)
同時期にかどわかした少女達を同時期に捨てたら、怪しまれるに決まっているのに。
(あちらさんも何か有るのかもね)
まあ、向こうの事情など知った事ではないが。
己はただ、下された指令に従うだけだ。
いや、指令に従うというよりも、主たる紫呉に従う、といった方が正しいか。
鳥獣隊を纏めているのは由月だ。指令を下すのも由月だ。
紫呉の『影』とはいえ、自分も鳥獣隊の一員。そして、如月に仕える御影家の者だ。
もちろん由月の事を敬い慕い忠誠を誓っている。だがやはり真に忠誠を置くのは自分の直接の主、紫呉だ。
その紫呉が由月の爪牙耳目となる事を望み、由月に従っているのだから、自分も由月に従う。由月の期待には応えたい。紫呉の『影』たる須桜の失態は紫呉の失態である。足を引っ張ることなど許されない。
作戦会議後、とりあえずは各々で情報の収集、という事になった。今の状況ではあまりにも情報が少なすぎるからだ。
少女達を蝕んでいるのはおそらくは大麻との事。だがまだ確定ではない。
そこで、一番薬に詳しい自分が保護舎へと様子を窺いに来た。
保護舎には、保護された少女の三人のうち二人の姿があった。もう一人はすでに矯正施設へ送られた後だった。
一人目の少女は、充血した目で須桜を見るなり「殺しにきたの」と言った。大麻汚染による極度の不安の為だろう。ひどくしわがれた声だった。おそらく大麻煙草を吸った所為。
今、目の前に伏せている少女は、明らかに
(……大麻も有機溶剤も両方与えていたのか。それか、捨てられた後に自分で有機溶剤を手に入れたか)
両方与えていたのならば、二人とも同じ症状を引き起こしているはずだ。
だが、一人目の少女に有機溶剤の使用の痕跡は見られない。
(なら後者か)
捨てられて、大麻が手に入らなくなった。そこで大麻よりも比較的安価な有機溶剤に手を出した、といった所だろうか。
背後でカタリと音がして、須桜は顔を上げた。疲れきった様相をした女性がいた。少女の母だろう。
「……お友達?」
「はい」
少女と面識は無いが、とりあえずは友人のフリをしておくのが一番妥当だろう。
須桜はぺこりと頭を下げ、座っていた腰掛を譲った。
女性は背中を丸め、ぼんやりと視線を娘に注いでいる。
「……この子とねえ、喧嘩しちゃったのよ。日記を見たとか見てないとかで、それで、出ていっちゃって……。帰ってきたと思ったら、これでしょう?」
ふふ、と笑い声が漏れた。顔は笑っていなかった。
女性は四十手前、といったところだろう。だがそれ以上に老けて見えた。纏められた黒髪に、白い物が交じっている。
「最初にね、この子、私を見た時に言ったのよ。……誰、って」
笑い声が漏れる。
表情の無い頬を、涙がつたった。
*********************************************