家族哲学 15
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両の手にした小刀の刃先から、ぽたりぽたりと血が滴っている。
倒れた四人の男の向こう、腰を抜かした田中が鳴らす歯の音が聞こえる。田中はしっかりと財布を腕に抱いていた。
紫呉は左の手にした小刀を一度咥え、もう一つの小刀を鞘に納めた。咥えた小刀を右手に移し、田中のもとに向かう。
「な、な何で、何でこんな事」
それには答えず距離を詰める。
「なあ、た、助けてくれ。助けてくれよ、俺には家族がいるんだ」
「……僕にもいます」
「あ、……ああ。な、な? そうだろ? 助けてくれよ。な?」
「彼女達にも、家族はいます」
「……あ……お、お前、女の縁者か何かか? そうなんだな?」
田中の視線は忙しなくあちらこちらに泳ぐ。
「な、なあ! これやるよ! 売れば良い金になる! ほら、な!」
大きな目を更に大きく見開き、笑みを浮かべ、田中は懐から紙に包まれた大麻煙草を取り出した。
紫呉はそれを受け取り一本取り出す。
田中の前に片膝をつき、自分の背後に包みと小刀を置いた。
燐寸を擦り、煙草に火をつける。肺までは吸い込まず、すぐに煙を吐きだした。
ふ、と体から力が抜けていくような気がした。くゆる紫煙の向こうで田中が笑っている。
紫呉は煙草の灰を落とし、田中の口に咥えさせた。
「あ……?」
「慈悲ですよ」
煙を深く吸い込んだ田中の体が弛緩する。どこか遠いところを見つめる目には、幸福が浮かんでいた。
「せめて最期は安らかに」
紫呉は小刀を田中の胸に突き立てた。
田中の身体が傾ぐ。壁を伝い、ゆるやかに崩れた。
小刀を引き抜く。床に血が滲んだ。
その上に落ちた煙草が、じゅ、と音を立てて消える。
田中の腕から落ちた財布から、蒼貨が数枚音を立てて転がった。やがて血だまりに行きつき、蒼貨は動きを止めた。
財布を拾い上げ、紫呉はその場を後にした。
深沈と春の宵が更けていく。
夜闇がまるで四肢に絡まるようだった。
紫呉は道なりの塀に体を預け、息を吐いた。
(……何を揺らいでいる)
家族がいるんだ。
そう言った田中の声が、何度も響いた。
命乞いをされた事など、今までに何度だって有る。なのに何を今更揺らいでいるのだ。
紫呉は田中の血に濡れた掌を袷で拭った。
ぬるりとした感触や生ぬるい温度を煩わしくは思うものの、別に、この手が血で汚れているとも穢れているとも思わない。
これは己の身の内にも流れているもの。己の命を形成するもの。厭う必要がどこに有る。
自分はただ、背負うだけだ。
奪った命を背負って生きるだけだ。
初めて人を殺したいと願ったのが六年前。
殺したいと希ったのは二年前。
護られたくないと願ったのが六年前。
護りたいと希ったのは二年前。
――願っているだけじゃあ何も手に入らないよ?
お前が本当に望むのならもっと求めるんだね。もっとしがみつくと良い。
兄は言った。
笑いながら、謡うように。
――私の駒になりなさい。お前の牙に餌を与えてやろう。
兄は言った。
笑いもせず、吟じるように。
伸ばされたその手を取ったのは自分だ。
その手を取ると決めたのも自分。
(揺らぐな)
この重みに潰されるな。
(毅然としていろ如月紫呉)
ぐ、と拳を固める。
身を預けていた塀から体を離し、紫呉は弐班の屯所へと足を向けた。