家族哲学 14
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門番は先程の男と入れ替わっている。交替したのだろう。
前を通り過ぎる。だが視線が追ってくる気配はしない。
(とんだ木偶だ)
影虎は帯に潜めた太針を、肩越しに男に投げつけた。
身を翻し、片手で男の口を塞ぐ。男の胸元に刺さった針を、もう片方の手で深く押し込んだ。
男の懐を探り、財布と門扉の鍵を取り出す。鍵を開け、門の内に男の身体を引きずり込んだ。
刺さった針を抜き、帯に戻す。代わりに取り出した小刀で、傷の上から男の身体を斬りつけた。針の痕跡を消す為だ。一強盗は針を用いはしないだろう。
(さて、と)
屋内の詰め所は東。
座敷牢は北。
吉江の部屋は西。
(どっから行くかね)
詰め所内には三人。
座敷牢の前に一人。
吉江の部屋の前には一人。
東・北・西と周るのが一番打倒か。いや、東の詰め所には警備が三人。流石に全員を無音の内に手にかけるのは難しい。
大声を出されてしまえば、他の警備にも知れてしまう。知れて、外へ逃げられると困った事になる。
(だったら、西側から行くか)
吉江の部屋の警備を先に始末し、牢へ、詰め所へ行き、最後に吉江の元へ。
(……よし)
影虎は小刀の鞘を払った。鞘を帯に差し、玄関前で事切れている男の身体を跨ぐ。足音を潜め西へ向かった。
部屋の前の男が、驚愕に目を見開く。声をあげられる前に一気に距離を詰めた。
吉江に気付かれる訳にはいかない。男の口に、先程奪った財布を詰め、手で押さえ込む。小刀を心臓へと埋め込んだ。
男の身体が傾ぐ。倒れぬように支え、床に転がす。
口中と懐から財布を取り出し、自らの懐に仕舞った。
小刀に着いた血を袖で拭い、北の牢へ向かう。
男の目が影虎の姿を知覚した。口が開く。
(間に合わない)
影虎は小刀を投げた。胸に刺さる。
「……侵入者だ!」
抜いた。男は事切れる。
詰め所の空気がざわめくのを感じた。
「くそ……。根性は褒めてやるよ」
懐から牢の鍵を取り出し、襖を開く。
声音を変えて声を荒げた。
「壱班のガサ入れだ! てめえら逃げろ!」
鍵を牢の内に放り投げる。須桜が頷いた。
詰め所の襖が開かれる。一人は北へ、残りは玄関口へと向かった。
(任せたぜ須桜)
影虎は二人の男の背を追った。
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「え、え……どうしよう……どうしよう……!」
「大丈夫、落ち着いて」
震えながらあちこちに動き回る琴に柔らかな声音を投げかけ、須桜は鍵を拾った。木格子の隙間から手を伸ばし、鍵を開けた。
「今なら逃げれる。行きましょう」
じっと座ったままの桐子に手を伸ばす。
「……私は、良いよ」
「でも……!」
「旦那は、家族みたいなものだから」
桐子はにこりと笑った。初めて見る、表情らしい表情だった。
「……家族とは
「うん。だから『みたいな』」
足音がこちらに近づいてくる。
「ろくでもない人って分かってて、それでも、私は伸ばされたあの手を取った。手を取るって決めたのは私」
だから、と桐子は微笑む。
「ここにいる。一緒にいて、壱班の盾になってあげる」
「……分かった」
桐子の瞳には決意が見えた。何を言ってもきっと無駄だ。
桐子さん、と頼りない声で呼ぶ琴の腕を引く。
逡巡の末、琴は桐子にぺこりと頭を下げ、須桜に従った。
男がこちらに走り寄ってくる。須桜の背を琴はぎゅっと握った。
「ごめん離して。目を閉じてて」
黒器の使用はできない。琴にばれるわけにはいかない。
須桜は髪の結紐を解いた。
「逃がさねえからな! お、お前らだけ逃がすとか、絶対、逃がさねえからな!」
男は泡を飛ばしながらこちらに手を伸ばす。
「もらった!」
「あげないわよ」
男の足を払う。均衡を崩した男の背に回り、首に結紐を絡めた。
「あたしはあの子のものだもの。身も心も、命も魂も、全部全部ね」
男を背負うようにして紐を引き絞る。男は紐から逃れようともがく。
やがて、男は動かなくなった。
呆然としている琴の手を引き、玄関へと向かう。
だがその前に一つ、しておかなくてはいけない。
(影虎はどこ)
須桜は指笛を鳴らした。名を呼びたいが呼べない。
どん、と床を踏み鳴らす音がした。
西だ。
「ちょっと待ってて。すぐ戻る」
力づけるようにぐっと肩に手をやり、琴の目を覗き込む。
揺れていた視線が須桜に定まった。すぐに戻る、ともう一度繰り返す。琴はこくりと頷いた。
西へと駆ける。
吉江の部屋の前に影虎は立っていた。
「吉江の殺害は不可。吉江の生存を望んでいる子がいる。吉江の庇護を求めている子がいる。由月様からの指令は組織の壊滅・少女の保護。吉江が死ねばその子の保護は不可能。指令に背く事になる」
早口に述べる。小刀の血を拭い、影虎は頷いた。
「生かしたまま、かつ、今後こんな事しねえようにさせるってこったな」
「お願い」
「任せろ。得意分野だ」
影虎と軽く拳を合わせ、須桜は琴の元へと舞い戻った。
琴はしゃくりをあげながら泣いていた。頬を涙がつたう。
「お父さん……お母さん……」
「大丈夫。帰れるわ」
琴の手を力強く握り、須桜は玄関を目指した。
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生かしながらも殺す、となると、顔を覚えられるわけにはいかない。
影虎は眼帯と覆面で素顔を隠し、吉江の部屋の襖を開けた。
「な、何だ。いったいどうしたんだ? 壱班だと?」
慌てふためく吉江が、影虎の姿を見てぎょっと目を瞠る。
「何だお前は、何者だ」
「それは内緒」
声音を変じ、口の前で人差指を立ててみせる。
「こ、殺したのか」
右手の小刀からは血が滴っている。
「私も殺すのか」
吉江は後ずさる。足がもつれて転んだ。
「ま、待て。何が目的だ。金か? 金ならいっぱい有るぞ」
「別に金は欲しくねえなあ。有っても困らんけどさ」
「じゃあ何だ。何が欲しい。私なら、私なら何でも与えてやれる。何が欲しいんだ?」
「絶対の支配者」
は、と吉江は大口を開く。
そして笑った。
「……は、はは……っ。な、何だそんなものか。なら、私の所に来ると良い。何でも与えてやれる。何一つ不自由はさせない」
「残念。あんたじゃ役者不足だ」
吉江の前にしゃがみ込み、にこりと笑う。
「さてここに一本の針が有ります」
影虎は帯に潜めた細い針を取り出し、吉江の眼前で振ってみせた。
「俺はいったいこれをどうするでしょうか? 一、目に刺しちゃう。二、指先の爪と肉の間に刺しちゃう。三、先っちょに刺しちゃう」
どれでしょう? と首を傾げる。
吉江は息を呑み後ずさる。それを追う。壁に当たり、逃げ場が無いと悟ると吉江は手で影虎を制した。
「待て。ま、待ってくれ、頼む。私がいったい何をした? 何故、何故こんな事を……」
「それも内緒」
伸ばされた吉江の指を掴んで曲げた。吉江が叫ぶ。割れた悲鳴がうるさい。掌で口を覆った。
が、痛みに垂れた涎に手を汚され、影虎は眉を潜める。すぐに手を除け、吉江の着物で掌を拭った。
「あ、ああ、あ、助けてくれ、助けてくれ、何でもする」
「何でも?」
「ああ、何でもしてやる。だから頼む」
「ちなみに俺嘘つきは嫌いだから」
影虎は針を吉江の唇に刺した。
「逆らったら飲ましちゃうぜ?」
吉江は口を押さえ、小刻みに何度も頷いた。針を帯に戻し、脂汗の浮いた吉江の頭を撫でてやる。
「良い子でしゅねー。じゃ、俺からの命令は二つ。一、今日の事は他言しない事。二、牢の少女の庇護は続ける事」
「た、た、他言」
「そ。誰にもなーんにも言わない事。何も、だぜ?」
壊れた傀儡のように、吉江は何度も何度も頷いた。
「もし破っちゃったりした時はさ、……そうなあ……」
影虎は小刀を吉江の首に突きつけた。
吉江の視線が刃を追った。刃先が皮膚に食い込む。
「……死んだ方がマシなんて、思いたくねえよな?」
笑いながら、刃に着いた血を吉江の頬で殊更にゆっくりと拭う。
荒い呼吸を繰り返していた吉江の体が、ふいに弛緩した。
股間が濡れている。
「んじゃ、そういう事なんで。朝までオヤスミナサイ」
小刀の柄で吉江の側頭部を打った。ぐるりと吉江の目が白目を向く。
どさりと倒れ伏した吉江の懐から財布を抜き出した。
これで自分の仕事は終わりだ。吉江の涎が付着した手をとりあえず洗いたい。
じわじわと畳を濡らす吉江の尿を見やり、影虎は踵を返した。
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