家族哲学 1
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一
煌びやかに飾られた少年少女が店先で客の袖を引く。
格子の向こう、座した娼妓がしどけなく微笑む。
賑やかな喧騒、笑い声。
まるで楽園のようだと言っていたのは誰だったか。
北乾第二区。
通称・愛染街。
「ねえ君、どう?」
「いえ、もう店は決まっています」
袖を引く街娼の手を払い、
酔漢と肩が触れあい、何事か喚かれる。呂律が怪しく、何と言ったのかは分からなかった。
猥雑な喧騒の中、紫呉は目的地へとひた歩いた。
角を曲がり、小路へ入る。大通りの喧騒が遠のいた。
小路の奥には大きな館がある。両脇に石灯籠の並んだ、館へと続く一本道を辿った。石灯籠の蝋燭の灯に、影が揺れた。
愛染街で三指に数えられる娼館だ。
豪華絢爛というよりも、簡素な、それでいて品のある三階建ての大きな館である。
門の脇には頑強な門番が二人。扁額の下、門をくぐった。ちらりと、門番に鋭い目を寄こされる。
店の引き戸を開ける。が、初老の片眼鏡の番台は俯いたまま顔を上げない。
番台の隣、箱の中から紫呉は浅葱色の紙を探し出した。それを番台に手渡すと、番台は無言で頷き、りん、と呼び鈴を鳴らした。
番台の背後の戸が開き、幼い少女が現れた。少女に履物を預け、後ろについて歩く。
長い廊下の両わきに、ずらりと襖が並んでいた。時折中から嬌声が聞こえる。襖の前には正座する幼い少年少女の姿があった。
少女はある襖の前で足を止めた。少女は僅かに襖を開くと、襖の前で正座した。
少女に目礼し、紫呉は襖を開ける。
「
「……来ていきなりそれ? 無粋にも程が有るよ」
翡翠色をした大きな目が細められる。後ろ手に襖を閉め、紫呉は窓辺に座した浅葱のもとへと歩んだ。
「お久しぶりです。昨夜夢にあなたが出てきましてね、会いたくて会いたくてたまらなくなって来てしまいました」
「棒読み。もっと無粋だね」
と、浅葱は馬鹿にしきった表情で嗤った。
歳は十三・四か。短く切られた、癖のあるぱさついた黒髪。大きく丸い目はなめらかな緑色だ。
浅葱は紺色の袷に、縞の袴を身につけていた。化粧もしていない。今日は少年の姿だ。
「てか、どうしたのあんたその顔」
「私情の縺れです」
「痴情の、じゃなくて?」
「そちらは縺れる相手がおりません」
小さく苦笑し、腫れた頬を軽く撫ぜる。
そりゃあお可哀そうに、とわざとらしい同情の台詞と共に浅葱は軽く肩を竦めた。
浅葱と以前会った時は、長い金の髪に、派手な花柄の振袖姿をしていた。その時は丁寧に化粧が施されていたし、爪紅も塗られていた。浅葱が同じ姿をしているところは、一度だって見た事が無い。
その為、男なのか女なのかもよく分からない。
声は少年にしては高く、少女にしては低い。浅葱は格別に美形、というわけではないが、男なのか女なのか判別しかねる。今日だって少年の格好をした少女のように思えるし、先日の振袖姿だって、少女の姿をした少年のようにも見えた。
中性的というよりも、無性的なのだ。まあ、目的が果たせれば女だろうが男だろうがどうだって良いのだが。
「で? 今日はいったい何の用?」
「大麻の売人を知りたい」
「……ふうん?」
浅葱はまるで猫のように目を細めた。
「大麻ねえ。どういうやつ?」
「……大麻煙草、ですね」
浅葱は唸りながら首を捻った。
「そうだね……ぼくのシマで知ってる奴なら河川敷のとこうろついてる奴かな。一番有名所だし、後ろに破天だか誇天だかがついてるって話も聞くね。それか、南の阿片窟付近か。安さで言ったらこっちのが上。もっと純度高いやつじゃなくて良いの? てか、煙草って喉痛めるからあんまりオススメじゃないけど」
「一番手軽でしょう」
「まあねえ」
浅葱は釈然としない、といった面持ちで、懐から浅葱色の色紙を取りだした。
透蜜園には二つの商品がある。
一つは『華』と呼ばれる春と芸を売る者。
もう一つは、『色』と呼ばれる者だ。
『色』は情報を売る。いわゆる情報屋だ。
客は『色』の色紙を店で買い、『色』から情報を得る。満足のいく情報が得られたのならその紙を金と一緒に返し、得られなかったなら紙を破いて返す。
情報屋は、愛染街の三指の娼館、透蜜園・玉菊屋・菱屋のどこかに所属している。それぞれの店にそれぞれ縄張りがあり、その縄張り内の情報を客に売る、という仕組みだ。
色紙を受け取り懐にしまうと、浅葱は演技じみた動作で低頭した。
「いつもご贔屓にして下さりありがとうございます翔太さん」
「……その名で呼ばないで下さい」
「ああ、嫌いって言ってたっけ? だから呼んでるんだけどねー」
「やめて下さい。ダサくて嫌いなんです」
「はいはい、ごめんね紫呉。これで良い?」
浅葱は意地の悪い笑みを浮かべている。
「てかさ、どうせ偽名なんだったらもっと格好良い名前にすりゃ良いのに」
「偽名?」
「あ、本名なの? ここに来る人なんて大概偽名だから、あんたもそうだと思ってたんだけど」
「さあ? どうでしょう」
「……ま、どっちでも良いけどね。あんただって識別できりゃそれで」
紫呉は立ち上がり、襖を開ける。振り返って薄く笑った。
「どうせなら如月の名でも騙りましょうかね」
「あっは、大きく出すぎ。馬鹿じゃないの?」
それには答えず、紫呉はひらりと手を振る。
「ありがとうございました。また来ますよ」
「はいはい。首を長くして楽しみに今か今かとお待ちしておりますよ」
詰め込みすぎだと笑い、紫呉は襖を閉める。同時に少女が立ち上がった。
少女の後について番台まで戻ると、紫呉は色紙と共に浅葱の揚代を支払った。番台は常と変わらず、ただ無言で頷いた。
(……さて)
とりあえずは河川敷に向かうとしよう。売人自体の特徴は教えてもらっていないが、付近に行けば分かるだろう。
大麻煙草の常用者は、弊害でだいたいの者は喉を痛めている。それに目が充血している。
そのような者達が多く接触している者が売人だ。
袖を引く客引きの少女の手を払い、紫呉は雑踏の中、河川敷へと向かった。
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