ろくろ首が荒ぶっている
扇屋は珍しく上機嫌であった。
扇の骨を作るも扇の地紙を梳くも、地紙に絵を描くも扇を売るも扇屋と言えるから、この男だけを扇屋と呼ぶには相応しくないのかも知れぬがそれはさて置き、扇屋は鼻歌まじりに筆を地紙に滑らせていく。
今日は思うようにすいすいと筆が進んだ。雇い主である馬鹿旦那……いや、若旦那から妖怪の扇絵を描くように言われているのだが、これが面白いように筆が進む。
「よっし、完成!」
最後の一枚が出来上がった。後は乾かしてしまえば完成である。即席の鼻歌を奏でつつ、扇屋は筆を置いた。
うん、と伸びをする。気がつけばもう夜だ。ずっと夢中になって描いていたらしい。そういえば腹が空いた気もするが、その空腹すら扇屋の満足感を助けるようだ。
頼まれていたのは五枚。可能な限りおどろおどろしく描いてくれ、との事だった。何でも、この夏の暑さを吹き飛ばせるくらいのおどろおどろしさが良い、と。
その期待に応えようと思ったわけではないが、扇屋は、それはもうおどろおどろしく妖怪絵を描いた。日ごろあやかしどもに迷惑をかけられて溜まった鬱憤をぶつけるように、それはもう、とてもとてもおどろおどろしく描いてやった。
描いたあやかしどもは、本当は舌も長くないし一つ目ではないし、うろこも無いし牙も生えていないし、耳も尖っていないし指も六本ではないが、扇屋は誇張しまくった。
普段から迷惑をかけられている礼だ。これを見た人々に怯えられ厭われ、キャーキャー言われてしまえば良いのだ。
そうだ、今日もいつものごとくあやかしどもに迷惑をかけられたのだ。
昼間には盗み舐めた油の礼――扇屋にとっては迷惑でしかないのだが――に、と猫又が雀を置いていったのだが、この雀、まだ息があった。埋めてやろうと扇屋が手を伸ばした途端、目を覚まして部屋中をばたばたと飛び回ったのだ。
どうにかこうにか外に出してやったものの、そのおかげで部屋は荒れきってしまった。もとより荒れた部屋なので、そう変わりは無いのだが。
夕刻には、豆腐小僧が訪ね来た。どれだけ追い返そうとしても暖簾に腕押しで、豆腐小僧は結局なおも扇屋の長屋にいる。今は、徹底的に無視を決め込む扇屋に拗ねたのか、豆腐小僧は扇屋の煎餅蒲団を奪って不貞寝していた。しかしいつの間にやら、すぴよすぴよと呑気な寝息を立てて眠りこけている。
だが、それもまあ良いかと思えるほどに今の扇屋は上機嫌であった。それ程に、妖怪絵は納得のいく出来であったのだ。
するとだ。
どん。
どん。
と、長屋の戸を叩く音がした。
嫌な予感しかしなかった扇屋は、無視を決め込むことにした。
が、音は続く。
どん。
どん。
叩く、というよりも、ぶつける、といった方が良いかもしれない。何か重いものを戸にぶつけているような、にぶい音だ。
やがて、その音に合わせるようにして、女の声が聞こえてきた。
どん。
――うらめしや。
どん。
――あなうらめしや。
どうしよう。本当に嫌な予感しかしない。
「うらめしやああああああ!!」
「ぎゃあああああああ!!」
バリィンと派手な音と共に戸は壊れ、代わりに女の顔が生えた。
「さっきからうらめしやうらめしや言ってるじゃない! 無視してんじゃないわよクズ!」
「めっちゃ血ぃ出てるけど!?」
飛んできた木片を避け、扇屋は頭突きで戸をぶち破った女を指差す。
女は額からだらだらと血を流していた。そりゃまあ、人の家の戸に頭突きを繰り返していたらかち割れもするだろう。
「あのねえ、女がうらめしやうらめしや言って泣いてんのよ? 優しく慰めるのが男の役目なんじゃないの?」
「人ん家の戸を頭突きでぶち破る女を慰められるほど、俺の懐は広くねえよ?」
「うるっさいわね、とにかく慰めなさいよ。あたしは傷ついてんのよ」
と、女はおいおいと泣き始めた。
「あーもー、うっぜえ……」
嫌な予感的中だ。扇屋は木片を拾い上げ、ぽいと適当な位置に投げ捨てる。
普通に頭突くだけでは戸は破れないだろう。多分。やったことがないから分からないけど。
それでも破れたのは、女が長い長い首を振りかぶり、戸に頭を打ち付けていたからだろう。
ろくろ首は扇屋の慰めを期待しているのか、泣きながらこちらにチラチラと視線を寄こす。鬱陶しい。
扇屋は舌を打って、極力目を合わせないように顔を背けた。
「さっさと巣に帰れよ、うぜえ」
「でも今あたしが首抜いたら戸に穴開いちゃって、ほら、隙間風とか気になるじゃない?」
「その気遣いが出来るならどうして頭突いた」
「ほんともう最悪。あの馬鹿入道、あたしの首が長いのが嫌だとかいきなり言い出して。だったら何で付き合おうとか言い出したのよ」
「聞けよ」
「もう少し短い方が可愛いよとか言われても、どうしようもないじゃない。あたしの首が長いことなんて最初から分かってたじゃない。それが嫌なら、何で付き合おうとか言うのよお」
「嫌なら別れりゃ良いじゃん」
「そういう問題じゃないのよ!」
にゅうと首を伸ばし、ろくろ首は扇屋の眼前に迫ってくる。
「あんたほんと何も分かってないわね! こういう時はとにかく話を聞いて、かわいそうだねつらかったねって慰めれば良いのよ! 否定も肯定も求めてないの!」
「肯定求めてんじゃん」
「うるさい! とにかくあたしは傷ついてるの! 何でもいいからさっさと慰めなさいよクズ!」
と、ろくろ首は胸を張る代わりに首を反らして扇屋を見おろした。
扇屋はぼさぼさの髪を掻いて更に乱し、大きく嘆息した。先程までの上機嫌は、既に彼方まで吹っ飛んでしまっている。
「そういうクズクズ言ってくるとことかが、見越し入道も嫌だったんじゃねえの?」
「みこたんには言わないわよ」
「みこ……、……キモッ。おま、
「何ですって?」
ろくろ首はカッと目を剥き、首を伸ばしてくる。ぐるぐると扇屋の体を締め付けた。
「それを言われたらもう戦争しかないのよ!」
「いだだだだだだ痛い痛い痛い離れろ暑苦しい!!」
「……んー、どうしたんすか扇屋の兄さんー……」
むにむにと寝ぼけ眼を擦りつつ、豆腐小僧が体を起こす。そして、ハッと息を呑んだ。
「……何たる情事……!!」
「情事じゃねえよ!?」
「ば、ばか!! 何言ってんのよ!! やめてよもうっ!!」
首を引き剥がそうとしていた扇屋だったが、ろくろ首が顔(と首)を赤らめて、明らかに動揺した様子な事に気付き、首を傾げた。
「もう、やだ、恥ずかしい……」
ろくろ首は拘束を緩め、扇屋から離れた。何だこれは。
「ひゅーひゅー、兄さんひゅー」
「黙れ小僧!」
囃す豆腐小僧を一喝し、ろくろ首の様子を窺う。ろくろ首は真っ赤な顔でもじもじと首をゆらゆらさせている。何だこれは。
「あ、あたしは、そんなんじゃないんだから……。誰にだって巻きつく首軽女じゃ、ないんだからね……」
首軽女って何だ。
「で、でも。あんたがどうしてもって、言うなら……」
チラ見すんな。
何だ。どうしてもって言うなら何なんだ。キャッ言っちゃったとかってもじもじしてるけど、全く意味が分からない。とりあえず豆腐小僧は黙れひゅーひゅー言うな。
何だこの空気は。何かフワッとしててすごく嫌だ。
扇屋が逃げだしたいと思っていたその時だ。ズゥンと地を揺らすような、大きな音が響いた。
「みこたん……?」
息を呑んで、ろくろ首が戸から頭を抜く。隙間風が吹いた。
「ろんろん! 俺が悪かった!」
「みこたん!」
みこたん。
ろんろん。
……頭の頭痛が痛い。
「ごめんな、ちょっと、甘えちまってたんだ……。お前が側にいるのが当たり前すぎて……。馬鹿だな、俺……」
「ううん、みこたんは悪くない! あたしが悪いの! あたしの首が、みこたんの理想の首の長さじゃないから……」
「違う! 俺が悪いんだ! ごめんな、ろんろん……!」
「みこたん……」
「ろんろん……」
「みこたん!」
「ろんろん!」
扇屋は戸の穴から外を覗き見る。雲突くほどの大入道に、ろくろ首はその首を伸ばしてぐるぐると巻きついていた。
同じく穴から二人を覗き見しつつひゅーひゅー囃していた豆腐小僧が、ふいに何かに気がついたように目を丸くして、扇屋を見てくる。
そして妙に優しい目をして、ぽんと肩を叩いてきた。
「……女は、ろくろ首だけじゃありやせんぜ……?」
「何で俺がふられたみたいになってんの?」
「星の数ほど、女はいやすよ……」
「その目をやめろ」
扇屋は豆腐小僧の頬を思い切り抓った。
外ではまだ「みこたん」「ろんろん」の応酬が続いている。
とりあえず、ろくろ首と見越し入道の二人は、更におどろおどろしく描いてやろうと扇屋は心に決めるのだった。
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『和風小説企画』参加作品
扇屋の他の話 ≪みなぎる豆腐小僧 :: 垢舐めが自重しない≫
【光栄すぎる頂き物。ありがとうございます!】
・タチバナナツメ様より 扇屋イラスト
・ぷるpる様より 豆腐小僧イラスト