桃花さまの言うとおりっ!
※作中に本などのタイトルが出てきますが実際の作品とは無関係です。
「ひざまずけば、いいんじゃない?」
着物姿の
「早くしてよ、遅れちゃうわ。この愚鈍」
冷たい声で、桃花が言う。
……はあ、ドM体質を自覚している俺ですけども。
「五歳児に言われても嬉しくねぇよ、馬鹿」
そう、俺の目の前にいる桃花は、五歳の女の子なのです。姪っ子。どう考えても言葉づかいとか語彙とか、五歳には思えないけども。
桃花は表情を変えない。
「別にアヤノを喜ばせたいわけじゃないもの。良いから早くなさいよ」
そう言って、足をびゅんとあげた。
「くっ、はっ、ってぇ!」
俺の股間ピンポイント。
思わずうずくまると、はからずも桃花の言った通りの格好になってしまった。窓辺に座る女王様と、その前に跪く下僕……っていうか俺。
「おい、桃花ぁ」
目じりに涙を浮かべて、恨めしげに桃花を見上げる。
「なぁに、アヤノ」
「いくらなんでも、そりゃないだろ馬鹿! 俺はやってやる側だぞ」
「だってアヤノが愚図なんだもの。それに発想の転換してよ。アヤノがわたしにやってくれるんじゃないわ」
「はぁ?」
ふふん、と桃花が笑う。
「わたしが、あなたに、やらせてあげるの。おわかり?」
びしっと俺の鼻っ面を指さし、ひと言ひと言区切って言った。
どー考えたらそうなるんだよ、馬鹿。ひとりじゃ出来ねぇから俺がやってやってるんだろ! とかね、色々言いたいことはあるんだけども、とりあえず、
「桃花さん、その言い方なんかエロいんでやめてください。ご近所さんに白い目で見られます。お前は知らないかもしれないが、このアパートの壁はものっそい薄いんだからな!」
「エロいのはアヤノの思考回路でしょ。はぁ、もう三遍回ってワンでアイス買ってくればいいのに」
桃花が軽くため息をついた。ため息をつきたいのはこっちだ。つか、結局この女王様は俺をパシリたいだけだろ。
「アイスはお腹痛くなっちゃうから駄目って言ってるだろ」
桃花と俺は一緒に住んでいる。ちょっとした事情で俺の両親、つまり祖父母の家に預けられていたのだが、今は俺と一緒だ。「祐司に懐いているなら、いいんじゃない〜、別に」って、なんだよね。ちなみに俺は
というわけで、ここ最近の俺の生活のリズムは桃花を中心に回っている。朝起きたら桃花を幼稚園に預けて、仕事したら桃花を迎えに行って、のくり返し。別に不満は無いけどね、元々趣味とか無かったし恋人もいなかったし。むしろ桃花が来てから料理が好きになった。キャラ弁ってまじスゴイ。
桃花との生活に不満は無いが、性格には不満たっぷりだ。せめてもう少し子供らしい可愛げがあればいいのに。
「まあいいや、ほら、桃花、足出せ」
趣味じゃないけど、子供の着物の着付けもある程度出来るようになった。これは俺の母親と義姉さんの趣味だ。元々着付け教室の先生と生徒だったふたりは、可愛い桃花に着物を着せたがった。
そういうわけで、休日の桃花の服は和服が多い。しかも今日は近所の寺に梅まつりを見に行くことになっている。こんなに日着物を着せないでいつ着せようか!
最初の頃は母親が毎回来て着付けをしていたけど、俺が気を使って嫌なので自分で覚えた。部屋が汚いとか、エロ本はどこにあるのだとか、ほんと止めてくれよ母さん。
ちなみにエロ本系はすべて友人宅に移動済み。『女王様と呼ばせてあげる』とかさ、見つかったら洒落にならないじゃん。
「……馬鹿やってて花村を待たせるわけにはいかないからな」
桃花の小さな足に足袋をはかせる。下ろしたての真っ白な足袋。しゅっ小気味よい音がする。
「ほら、桃花、足ちゃんとして」
足袋のこの金具って「こはぜ」って言うらしいけど、「鞐」とか「小鉤」って書かれても読めないよね。「とうげ」と「こいぬ」って読んだよ、最初。
「花ちゃんなら待っててくれるでしょ。桃花のこと大すきだもん」
「……まあな」
花村は俺の友人で今日一緒に出かける約束をしている。
俺の友人・知人はどっかしら残念なんだよね。俺の友達だもん。
花村は無類の幼女好き、いわゆるロリコンである。つまり、奴の目当ては桃花であり、それは俺が桃花と暮らし始めてから急に増えたコンタクトからも明らか。ったく、俺の休みのたびに呼び出しやがって。
正確に言うなら、花村が呼びだしているのは桃花だけ。お為ごかしに、「桃ちゃんの面倒みててやるから、たまの休みくらいゆっくりしろよ」なんて言いやがって……てめぇと桃花をふたりきりにした時点で、全く気が休まらねぇんだよ。
「アヤノ、気持ち悪いわ。わたしの足もとでブツブツ言わないでよ。あと、早くしてよ」
桃花がつまらなそうに、足をぶらぶらさせる。
「ああ、悪い」
思わず謝っちゃってるあたり、やっぱ俺ってヘタレだわ。相手は五歳児だぞ、しかも俺がやってやってるんだぞ。
桃花に文句を言っても無意味なのはわかっているので、黙々と鞐をひとつずつはめていく。ああ、この様を客観的に見たら嫌過ぎるな……五歳児の下にひざまずいて足袋はかせてるって。
「ほら出来た」
俺は立ち上がり、桃花の全身を眺めた。今日の着物は薄い桃色の地に大ぶりな桜の柄のあるもので、桃花のお気に入り。帯や小物もパステルカラーで揃えて、春らしくしてみました。でも梅まつり行くのに桜で良いのかな。可愛いから良いのか。
真っ黒な髪はボブ、着物に合わせて色の大きな花の髪飾り。白い肌と大きな瞳に着物を着て出窓にちょこんと座る姿は、非現実な絵のようだった。陽光に反射する埃さえ、どことなく神々しく思えてしまう。周りを見れば独身男の汚い部屋だが。
「行くぞ、下りろ」
そろそろ出ないと本当に花村を待たせることになる。出窓から下りるよう促すと、桃花がじっと俺を見上げた。この娘は黒目勝ちの大きな瞳を持っているので、なんというか、見透かされているようでちょっと息が詰まる。逆らえない雰囲気みたいな。
「だっこ」
桃花が俺に向けて手を伸ばす。
「自分で歩けるだろ」
「だっこー」
甘たるい声。こういうときだけ子供らしくっていうか、年相応になるのって反則だろ。女って小さい頃から女なのね本当に、嫌になっちゃうわ俺。
「ったく、ほら」
着物を着ているので、おぶうわけにも対面して抱くわけにもいかず、お姫様だっこをする。桃花が俺の首に手をまわした。温かく柔らかい手。爽やかな柑橘系の香りがする。俺も同じ石鹸を使っているが、こんなに香らない気がする。
「ありがとう、アヤノちゃん」
にっこりと笑って、ぎゅっと俺にしがみついて、桃花が言う。ああ、俺はロリコンじゃないんだけどさあ、やっぱこういうのには弱いよね。何この、俺の姪っ子とは思えない可愛さ。
たまに見せる年相応の可愛さが、桃花の計算であることはわかってるけど、それでも良いって思わせちゃうんだから、女は生まれたときから女なんだな、やっぱ。
部屋を出て鍵を閉める。片手で五歳児を抱くのって結構キツい。
「今日は花ちゃんになに買ってもらおうかなー」
桃花はすっかりいつもの、対俺用の態度に戻っている。なんてことを言う子だろうか、五歳にして男に貢がせる気か。保護者代行としては、注意しなければならないだろうよ、ここは。ヘタレでもやるときはやるんだ!
「お前な、花村にねだるなよ。あいつだって金持ちじゃねぇんだから」
「アヤノよりはお金持ってるでしょ?」
「……そりゃ、まあ」
「それに花ちゃん、イケメンだから、お金貢いでもらえるよ、いざとなったら」
ホスト何ちゃらと言おうとした桃花の口をふさぐ。女の子がっていうか五歳児が言う言葉じゃありません。
「……もうやだこの子」
ヘタレだってやるときはやるんだ! と意気込んでみても、大体残念な結果になるんだよね、ヘタレは。
今からお寺に行くからね、お願いするんだ。
神様、仏様、桃花様……頼むから普通の五歳児をプリーズ。
「桃ちゃんっ!」
「花ちゃんっ!」
花村の姿を見つけるなり、桃花はぴょんと俺の体から飛び降りた――と言っても実際は俺が下に下ろしてやるんだけどね、危ないからね。
「かぁわぁいいぃっ」
桃花の着物姿に感激したらしい花村が桃花を抱きあげる。そんな友人の姿はごめん、若干引く。
「ももか、かわいいでしょう?」
桃花がちょっと首をかしげて見せた。頭の髪飾りがしゃらと音を出す。
「可愛い可愛い可愛い超可愛いっ! ちゅーしたい!」
「ちゅーするの?」
「ちゅーするのっ!」
んーとタコみたいに口をすぼめた花村の顔が桃花の顔に近づく。
「やめろ、馬鹿」
花村の髪の毛を思いっきり、思いっきり引っ張る。
「何するんだよー、祐司」
「こっちの台詞だ、桃花に手ぇ出すなロリコン」
「独占はよくないよ、可愛い子は共通の財産なんだよ」
「独占じゃねぇ、保護者としての責務だ、馬鹿」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、うるさい奴だな。俺は馬でも鹿でもないよ。馬鹿っていう方が馬鹿なんだよ、ねぇっ、桃ちゃん」
「うんっ!」
桃がぱぁっと明るい笑みで答えた。はぁ、一対二ですか。まあ、馬鹿は自覚してますけどね、桃花と一緒に暮らしている時点でね。それにしても、
「桃花」
「なぁに、アヤノちゃん」
桃花の笑みは天使の笑み。
二面性が恐い。桃花が女王様幼女になるのは俺の前だけである。これがさ、仮に彼女とかだったら、まあいいんですよ、俺ドMだし。でもねぇ、五歳幼女って、ため息出ます。
「桃花、花村、いくぞー」
「ああ」
「うんっ!」
「はわぁ、桃ちゃんかわいいよー」
きゃっきゃ、きゃっきゃと騒ぐ桃花と花村の声を後ろに聞きながら、俺は小さくため息をついた。なんでせっかくの休日をこいつらのために潰さにゃいかんのか。
「だったら、祐司は帰ってもいいよー」
「あん?」
ふり返ると、桃花を抱えた花村はにこにこしていた。無駄にイケメンな奴が無意味ににこにこしていると、なぜだろう、殴りたい。
「祐司、思ったこと言ってたよー。せっかくの休みなんだから、自分のやりたいことしてて良いよ。桃ちゃんは俺が、」
「断る!」
途中で遮ると花村はいかにも不服そうな顔をする。
「んだよ、遊ぶだけだよ」
「それ以上は犯罪だ馬鹿。っていうか、てめぇと桃花をふたりきりにするのが、嫌だから、こうやって俺が付いて来てんだよ。俺を休ませたいなら、俺をつか桃花を誘うな!」
梅まつりに行こうと誘ってきたのは花村だった。花村とは以前から仲が良い方だと思っていたが、それだって二、三ヶ月に一回会うか会わないかだったのに……今なんか一、二週間に一回だぞ。俺の休日をなんだと思っているのって、ね。
梅まつりを見に行こう! ってわりに、梅まつりをやっている寺からはすぐに引き上げた。はっきり言って桃花の興味を引くものがほとんどなかった。花村は寺とかそういう場所が結構好きなんだけど、桃花に合わせて軽く見ただけだった。また今度じっくり見に来るらしい。だったら今日俺らを誘うなよ。
「アヤノちゃん、ももか、アイス食べる」
帰り道、花村に抱かれたまま、桃花が声をかけてきた。
「あ? こんな寒いのに冷たいものなんか食べられるか、馬鹿」
季節は二月中ごろで、まだまだとても寒いのだ。こんな日に冷たいものを食べさせて腹を壊されたらたまったものではない。
「桃ちゃん、俺が買ってあげるね! 何かいい?」
「チョコー!」
「花村、いい!」
「ええぇ」
と声をそろえ、非難がましく声をあげる桃花と花村を俺は無視した。
「ももかぁ、アイスゥ、たぁべーるのぉ」
「おい、祐司っ、桃ちゃん泣いちゃう! 泣いちゃう!」
慌てふためく花村。こいつは本当に可哀想な奴だと思う。
「桃花、もう帰るぞ。ほら」
花村から桃花を受け取ろうと手を伸ばしたが、桃は鋭い声で「いやっ」と言った。もう泣きだす寸前、のように見える。
「祐司、買ってやれよアイスくらい。なんなら、俺が買ってやるからさ」
「金の問題じゃねぇよ。腹壊すだろ、馬鹿……ほら、桃花っ、行きますよ!」
「やーあぁ、うぅ」
桃花を無理やり引っぺがし、花村に別れを告げる。
「じゃあな、花村。あんま頻繁に誘うんじゃねぇぞ」
「う、おう。桃ちゃん、ばいばい。今度アイス買っていくからね」
「う、ん。じゃあね、花ちゃん」
舌足らずな様子の桃花が手を振ると、花村の顔はだらんとなった。友達ながら、大丈夫だろうかと思う。花村は大体において“良い人”でついでにイケメンなので犯罪なんて縁のない人間に思う。でももし幼女相手に何かしでかしたと言うなら、テレビの取材で俺は友人Aとしてこう言うだろう。いつかやると思っていました!
花村と別れると、桃花はぴたりと静かになった。
「ねえ、アヤノ?」
「んだよ、悪女」
「五歳児に悪女っていうなんて、ひどいわね」
「男を手玉に取る時点で五歳だとしても悪女だ」
桃花が上目づかいに俺を見上げる。
「だって、花ちゃんは気づいてないじゃない? バレなきゃ良いって言ったのはアヤノじゃない?」
「あ? いつ言ったよそんなこと」
「『ストロリ! ロリっ娘学園 学園祭編』……ああいうのって、結構高く売れるのね」
さっと血の気が引いた。
「な、な、んで、知ってんだ」
情けないことに声が震える。否定すれば良かった。桃花は艶然とほほ笑む。
「子供が早く寝るとは、限らないのよ」
「……桃花さん、アイス食べたくないですか」
「たべるー!」
きゃっと明るい声を出す桃花。薄暗い契約を結びました。
口にするのも憚られるタイトルはアダルトビデオというものに分類されるものであり、花村の持ち物である。持ち物であった。インターネットオークションで売ってみた。案外高く売れた。花村は必死で探して、見つからなくて泣いていたので、焼き肉をおごってやった。慰めとしてね、もちろん。せめてもの罪滅ぼしとかじゃないから、まじ。
「あ、アヤノちゃん、あそこで食べてく!」
「あん?」
桃花が指さした先にはファミレスがあった。
「いやいや桃花さん、あなた今日の昼も外ごはんだったでしょ」
桃花の分は花村が出した。
あら、なんなら『ロリっ子学園ってなぁに!』って大声出しても良いのよ、アヤノ?」
「……桃花、なに食べたい?」
「お子様ランチとチョコのやつ!」
はいはい、桃花さまの言う通りにしましょう。五歳児に脅されて負けるなんてね。
さあファミレスへ行こう。二名様のご来店ですよ店員さん、禁煙席で、注文はお子様ランチとチョコレートパフェ、それとコーヒーでよろしく。