潜む黒
蔵の戸を開けると、天井から黒髪が生えていた。
差し込む光をきらりきらりと跳ね返す塵の向こうで、それはひっそりと息づいていた。
見事な黒髪だと私は思ったので、それにそっと指先を触れさせた。
何ともすべらかで心地良い。しっとりと水分を含んだ髪を指に絡ませると、それは捕らわれるのを厭うようにするりと指から逃げてしまう。
するりするり。
繰り返すうちに何だか愛おしく思えてきたので、私は指だけでなく手首を絡ませ髪をぐいと引っ張った。
ずるずると髪が天井から生まれてくる。指や手首だけでは物足りなくなってしまったので、私は髪に頬を擦りつけ、全身を使って黒髪を堪能する事にした。
腕に、脚に、腰に、首に髪を巻きつけ肌で髪を悦しむ。僅かに椿の香りがする。
もっと、もっともっと髪が欲しくなったので私は絡めた髪を全身を使ってぐいと引っ張った。
すると天井から女の首が生えた。
逆さまに生えた女の首は、黒々と濡れた瞳を持っていた。朱の刷かれた目は色を含んでいるように思えたので、私は腕を伸ばし、女の頬を両の掌で包み込んだ。
ああ、駄目だ。
この頬はいけない。
小さな凹凸が有る。産毛の感触も邪魔だ。皮膚の向こうに血の温もりを感じるのもいけない。
何だかとても腹が立ってしまったので、私は力任せに女の頬を張った。
すると女は痛い痛いと泣き声をあげるので、私は耳を塞いだ。
厭わしい、とても厭わしい。
耳を塞ぎ、黒髪に頬を寄せる。食む。ひんやりとすべらかなそれを口蓋と舌先で愉しむ。
女の声はやまない。
痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い、五月蝿い五月蝿い。
この髪だけが有れば良い、女は要らない。女が邪魔だと私は思ったので、私は髪を引きちぎろうと力を込めた。
ごとりと音がして女の首が地に落ちた。
黒々と渦巻く黒髪の中に女の首はある。
女の首はつるりとしている。本来ならば見えるであろう骨もなく、そこは皮膚に包まれている。
まるで猫の首を掻くように指を滑らせれば女はふわぁと鳴いたので、私は気分を良くしてそこに舌を這わせてみた。
薄い皮膚の向こうに骨の硬さを感じる。軽く歯を立てれば骨の硬さを感じる。
それでも骨の温度を感じる事はできなかったので、私は残念に思い女の首を転がした。
女の首は転がり転がり、そして壁にぶつかりまたこちらにごろりと転がった。
女の目は笑みを湛え、女の口は笑みを湛え、色と媚を含んで私の足元に転がった。
女は唇と歯と舌と髪を使い、器用に私の足袋のこはぜを外してくる。
くるぶしにべろりと舌を這わせられて女の体温を感じた。歯を立てられる。きっと女も私の骨の感触を愉しんでいるのだろう。
髪がするりと蠢き、私の痩せた腿に絡みついた。あばらの浮く胸を髪で締め付けられる。青く静脈の浮く腕を絡め取られる。
ざわざわと髪で皮膚を擦られ、ゆるりと締め付けられ、全身に黒髪が纏わりつく。
ひやりとした髪はやがて私の体温を吸い取り生ぬるく変じ何処からか髪で何処からか私なのかが分からなくなってしまった。
女は髪をつたい私の眼前で笑った。くわりと大きく口を開く。
鋭く尖った白い犬歯とぬらぬらと光る赤い舌が私の肌にしがみつく。
女に食われれば私もこの黒い髪になれるのだろうかと思ったので、私は思わず喉を反らして笑い声をあげてしまった。