JAP!!!
小塚は何のためらいもなく引き金を引いた。すぐ側で弾ける銃声に、三郎治は眉を顰める。小塚は反動で跳ねた腕をさすり、手庇を作って三郎治の肩越しにハンターの様子を伺った。
「お、命中」
だが急所には当たっていないらしく、ハンターの怨嗟の声がこちらにまで届く。ジャパニシアン。低く呻く男の声が苦しげだ。
「やだなー、俺今からあっち行くのに」
「別の道から帰ったら良いだろ」
「うーん、どうしよ」
あまり深刻ではなさげに腕を組んで悩む小塚を、三郎治はひょいと肩に担ぎあげた。
「うお、どしたの山田」
応えずに、三郎治は塀の上に跳びあがる。今日はやけに塀に跳ぶなと考えながら、小塚の薄い体を塀のうちに投げ落とした。
「あだっ!」
ややどんくさいところのある小塚だが、それでも何とか受け身をとって庭に転がる。
「次のサイレン鳴るまで中にいとけよ」
「おー、そうする」
へらっと笑って、小塚は玉砂利に転がったハンドガンを拾って茂みに撃ち込んだ。それに遅れて、茂みから血だまり溢れてくる。今度は呻く声も聞こえない。
「お、真ん中命中〜」
歌うように言いながら、小塚は塀の上の三郎治に手を振った。スニーカーを脱ぎ、縁側から家の中へと気安く入っていく。
「井口のばーちゃーん、ちょっとかくまってー」
「あんれまあ、どないした怪我しとるで」
「山田に落とされたー」
「あれ、山田さんとこの。太郎ちゃんか? 次郎ちゃんか? 三郎治ちゃんか?」
「三郎治ちゃんだよ」
「あれまあ」
気の抜けた会話を背中で聞きながら、三郎治は塀の上から周辺を見渡す。ここからスーパーまで、そう遠くはない。直線距離で言えば1キロもないだろう。塀を乗り越えてまっすぐ行こうか。それとも、今日はやたらに塀にのぼるから道なりに沿って行こうか。
できればハンターとの接触はあまりしたくない。さっさと頼まれたものを買って帰って、菓子を食べたい。
どの道が、一番ハンターが少ないだろうかと考える。近くで聞こえる銃撃戦をBGMにしながら、三郎治は腕を組んだ。
しかしそれも長くは続かない。電柱の陰から、若い男がこちらを見上げて叫んだからだ。ジャポカニック。その声に応えるように、止まっていた車の中から、向かい側の塀の中から、わらわらとハンターが現れた。
JAP! 聞き慣れた家畜の呼び名に三郎治は笑みで応え、撃ち込まれる弾丸を跳んでかわす。そしてそのままに、男の顔面に着地した。
足の下で、骨とアスファルトがぶつかる音がする。もしかすると頭蓋が砕けてしまったかもしれない。
しかしそれには構わず、三郎治は腰の刀に手をかける。仲間がやられて腰が引けたのか、ハンターの一人は車に戻り、エンジンをかけていた。
うまくエンジンをかけられずにいるその女の車のボンネットに飛び乗って、三郎治はニタリと笑う。女は下品な声で叫ぶと、三郎治を振り落とそうとしてか、やみくもにアクセルを踏み込んだ。
急発進した車からひょいと降りれば、車は向かいの塀にぶつかり派手な音をあげた。女はおりてこない。意識を失ったか死んだかは知れない。
もう一人いたはずだか、そいつはさっさと逃げてしまった。今日のハンターたちは、意気込みだけは立派なのに、尻をまくって逃げ出すのも早い。使い慣れた愛刀も、今日は最初に襲いかかってきたハンターの腕を落としただけだ。
別にまあ、好き好んで殺したいわけじゃないから構いやしない。血で汚れるのも、脂でぬるつくのも、好きか嫌いかのニ択ならば、どちらかと言えば嫌いである。たまに無性にハンターを狩りたくなる気分の時もあるが、今日は違う。今日はひたすら、早くおつかいをすませて帰って菓子が食べたい。
三郎治は結局、道に沿ってスーパーに向かうことにした。隠れながら進むより、身を晒してあちこちに潜んでいるハンターをおびき寄せつつ排除しながら進む方が、結果的にはやくおつかいをすませられそうだと思ったからだ。
口に放り込んだ棒付きキャンディーを舌に転がしながら、のんびりと路地を歩く。残り小さくなってきたキャンディーを噛み砕き、残った棒を前歯で挟んで無意味にぴこぴこと動かした。音楽が欲しいような気もしたが、いつハンターが襲いかかってくるか知れない。肉塊にされるつもりは無いので、今は我慢することにする。
おかげさまで、三郎治の機嫌はあまりよろしくなくなった。キャンディーも無くなってしまったし、音楽も好きに聞けない。さっさともう一度サイレンが鳴ってほしい。
しかし三郎治の思った通りに事が運ぶわけもなく、サイレンが鳴る代わりに、角から悲鳴のような音をあげて車が猛スピードでつっこんでくる。
車の窓から身を乗り出したハンターは、手榴弾を握っていた。ピンを抜き、投げつけようと振りかぶる。
三郎治は刀を抜き放ち、すれ違いざまにその手を斬った。今日はやけに手を斬るななどと考えつつ、宙を舞う腕と手榴弾とをまるでボールを打ち返すように、刀の峰で強く打った。
遠くの宙で手榴弾が爆ぜたのと、三郎治の背後で車が塀にぶつかったのがほぼ同時。その音に吸い寄せられるようにして、電柱の上からハンターがナイフ片手に跳びおりた。彼はすばやく三郎治の背後に回ると、首筋にナイフを突きつけてくる。
だが刃が三郎治の喉を裂くよりも、三郎治が身を翻す方が早かった。男に向き直った三郎治は、くわえたままだったキャンディーの棒を指に挟み、男の目の前でニィと笑う。
「たばこ臭ぇんだよ」
目を剥く男の口に棒を突っ込み、そのまま強く押し込んだ。臭い口から血を噴き出しながら、男は仰向けに倒れた。わめく男の顎を蹴りつけ黙らせる。スニーカーの裏を汚す男の血をアスファルトに擦り付け落とし、ついでとばかりに刀を汚す血と脂も、男の服で拭うことにする。
しゃがんだその時、ちょうど折りよく三郎治の頭上を弾丸が通っていった。三郎治の向こう側にいた女に弾丸は命中し、女はもんどり打って転がった。
女を撃ってしまった男は女の連れ合いであったのか、動揺してわけのわからぬ叫びをあげていた。三郎治は狼狽する男の手から銃を奪い、額に銃口を突きつける。
引き金を引けば、あっけなく男の額に穴があいた。手を汚す返り血に顔をしかめ、男の服に擦り付ける。今日は別に、血に汚れたい気分ではないのだ。
血と硝煙のにおいが立ちこめる路地を抜けて、スーパーを目指した。ひとり、三郎治の後をつけてくる気配がしたが、今すぐに襲いかかってくるわけでもなさそうだ。無視を決め込み、アーケード街を通り抜ける。
「お、三郎治ちゃん汚れてるな! 血の汚れには大根が良いぞ!」
「大根?」
いつも野菜を買わせてもらってる八百屋のおじさんが、快活に笑う。よく日に焼けたおじさんの顔にも、返り血が跳んでいた。
「太郎ちゃんに聞いたら良い! ほら持ってけ!」
ぎゅうぎゅうとリュックサックに大根を詰め込まれつつ、三郎治はやや気圧されながらもありがたく大根を受け取っておくことにした。
アーケード街は、シャッターをおろしている店が半分、変わらず開けている店が半分、という様子だった。店の中も「屋内」に認定されるから、アーケード街に訪れるハンターは比較的に少ない。それでもわざわざ狩りにくる者はやはりいて、アーケード街の所々にはハンターが転がっている。
この通りを抜ければ、ようやくにスーパーだ。リュックサックを背負い直し、三郎治は一息ついた。
アーケード街を抜けた途端、吹き込んだ熱風に三郎治は目を眇めた。爆発はどうやら隣の路地でおこったらしい。パーカーのフードをかぶって熱を避け、スーパーまで駆け抜けた。
自動ドアが開く間ももどかしく、転がり込むように店内に入る。いらっしゃいませー。店員の気の抜けた声に、ほっとした。これで煩わしい襲撃からひとまず逃れられる。
買い物かごを手に、小豆ともち米を探す。スーパーに流れる軽快な音楽を鼻歌でなぞりつつ、見つけた小豆をかごに入れる。あとはもち米だ。おそらくは米の陳列棚のあたりにあるはずだ。
店内をぐるっとまわり、見つけたもち米を三郎治はひっつかむ。すぐ隣に量の多いものを見つけてやや迷ったが、結局は安く少ない方にした。
あとは菓子だ。残金を計算し、三郎治は菓子の棚へわくわくと向かう。
菓子の陳列棚へと移動した三郎治は、返り血の跳んだ頬をぽわわと染めた。この、棚を眺める瞬間はいつだって大好きだ。どれにしようかと迷いながら、菓子を選ぶ瞬間の高揚感も大好きだ。きっと次郎が嫁を選ぶ時の気持ちもこんな感じなのだろう。いや、三郎治は菓子なら何でも好きだから、ちょっと違うかもしれない。次郎のように「処女以外帰れババァも帰れ」とかは思わない。三郎治は菓子なら何だって受け入れる。
つい最近発売された新製品のチョコレート、何でその味にしたのかが謎な斬新な味のグミ、いつも絶対に買っているバタークッキー。キャンディーにマシュマロ。ひょいひょいとかごに入れ、駄菓子も数点放り込む。最近はグレープのガムが多かったから、今日はイチゴのガムにしよう。
ふんふんと鼻歌を奏で、レジへと向かう。ここのスーパーに来るたびいつもこの歌に洗脳されてしまうのは多少困りものだが、ここは新製品も割安で販売してくれるからありがたい。
店員に告げられた金額は、三郎治が計算していた金額とちょうど同じだった。財布のから揚々と金を取り出して、店員に渡す。
リュックサックに荷物を詰め込み、三郎治は店を飛び出した。弾丸が後ろの壁にぶち当たったが気にしない。ハンターよりも菓子だ菓子。いやその前に太郎の晩飯だ。カレーじゃなくなったのは残念だが、唐揚げも三郎治は好きだ。思えば赤飯も口にするのはずいぶんと久しぶりだ。
ぐう、と三郎治の腹が鳴る。手持ちのガムで空腹をまぎらわせようかと思ったが、やめた。空腹を耐えてそれから晩飯を口にした方が、一層においしく感じるだろう。
どっちにせよ、はやく帰りたいことに変わりはない。きのこーのーこのこー、おとなのきのこー、きのこきーのこ、りっぱなきのこはミツヤのきのこー。先ほどスーパーで洗脳された歌を口ずさみながら、三郎治は我が家を目指した。
三郎治めがけ飛んできたナイフの、柄を掴んで投げ返す。浴びせられるマシンガンの弾丸を、車の影に潜んでやり過ごした。
だがかかるエンジン音に、三郎治は車の影から身を踊らせた。その際、抜きざまにタイヤを切りつける。三郎治をひき殺そうとしていたハンターは、パンクに焦りエンジンを必死に回そうとしていた。
それは捨て置き、家路を急ぐ。眼前に迫り来る男は剣を振り上げ、高揚した顔でJAPと声高に叫んでいた。
三郎治は道ばたに落ちている、ハンターだか家畜だかの武器であっただろう槍の柄を踏みつけた。跳ね上がった槍の先端が、ちょうど男の顎を裂く。三郎治は男の顎から槍を引き抜き、腹に穂先をずっぷり埋めてやった。
ふいに空気の揺れを感じ、三郎治は素早くその場から跳び去る。三郎治が先ほどまでいた場には、シュリケンが刺さっていた。
出所に視線をやれば、ニンジャ姿の男がいる。家畜狩りは諸外国民にとって最高の娯楽だ。だから最高のエンターテイメントを演出するために、コスチュームをプレイしている者も多い。そういえば今日はスーツ姿の男がいたが、きっとあれだってコスプレイなのだろう。
「ふぅん」
ニンジャサムライは三郎治もあまり目にしたことがない。今まで見てきた中で、一番多いのは迷彩服だ。動きにくそうな鎧や、下着にしか見えない格好の女もいたか。
ニンジャは三郎治と同じく、刀を手にしている。八双に構え、じりじりと距離を詰めてきていた。
三郎治はキンと音を立てて納刀する。そして腰を落とし、左足を引き、柄に右の手をかけた。いわゆるイアイヌキの格好である。
キェエと甲高い雄叫びをあげて斬りかかってくるニンジャを、三郎治は抜きざまに斬り伏せる。
「こういうの好きなんだろ?」
わざわざニンジャのコスプレイをするほどだ。イアイヌキで昇天させられて、きっとこのハンターも嬉しいに違いない。
どさ、と背後でニンジャが倒れる。アスファルトに滲む血だまりから逃げるようにして、三郎治は家を目指した。このスニーカーはおろしてまだそんなに日が経っていない。あまり血で汚したくはなかった。
曲がり角にさしかかった時だ、三郎治の行く手を阻むようにして得物が振り下ろされた。跳び退いたそこには、大きな何かが刺さっている。アスファルトには派手にひびが広がっていた。
こいつか、と三郎治は路地に伸びる影を見やる。この気配は先ほども感じた。三郎治の後をつけていたハンターはこいつに違いない。
アスファルトを叩き割ったのは、どうやら斧のようだ。バトルアックス、というやつだろうか。長い柄の先に、分厚い鋼の両刃が光る。筋骨隆々とした半裸の男はそれをゆっくりと引き抜いて、肩に担ぎ上げた。ずん、と音がしそうなほどに重たげだ。
「JAP……!」
てらてらとオイルで光る顔に、半裸の男はにやけた笑みを浮かべた。
半裸の男は、やけにぴっちりとした短いレザーのパンツを穿いていた。裸の上半身には、何の機能があるのだかしれないサスペンダーを身につけている。以前次郎がプレイしていたゲームで、確かこんな奴を見た覚えがあった。次郎は「うるせえショタはショタという神聖な生き物であり天使でありしかし、小枝からミルクを精製した瞬間残酷な天使が産声をあげショタは堕天使になるんだよ」とか何とか言っていた。
半裸の男の後ろには、似たような格好をした、やたらにてらてらと光る集団がいる。
JAP! JAP!! JAP!!!
聞き慣れた合唱が空気を揺るがす。声に合わせ踵をアスファルトに打ち付けていた集団だったが、先頭のバトルアックスの男がゆっくり拳を突き上げると、ぴたりと音を立てるのをやめた。
男は掲げた拳をゆっくりおろし、三郎治にびしりと指を突きつける。
「……ファック・ユー……!」
「あ?」
うおおおおおお、と男たちの雄叫びが響く。耳に痛い。野太い歓声の中、男がバトルアックスを振りかぶった。びゅうと風を裂いて振り下ろされるそれに跳び乗り、蹴って、高く跳ぶ。宙でくるりと前転し、その勢いそのままに男の頭蓋を刀で斬りつける。衝撃にぐらつく男の体を蹴りつけ、下敷きにならぬよう距離を取る。ずん、と重く倒れ伏す男の後頭部に吐き捨てた。
「邪魔」
びくびくと痙攣する男の手から、バトルアックスをもぎ取る。若干重いが、ここからなら家はもうすぐそこだ。引きずって持って帰るのもさほど苦ではないだろう。
「つかファックじゃねえの?」
キャアアと高い悲鳴をあげて、男の一味は散り散りに走り去る。誰も三郎治のつぶやきは耳に留めていないようだった。「バカじゃねえのか死姦てジャンルも存在するんだよ」と次郎がいつだか言っていたのを思い出したが、まあ別にどうでも良い。
三郎治は刀を納めた。ガラララとやかましい金属音を立てながら、斧を引きずり家へと駆ける。これで太郎への土産もできた。
そろそろ空腹も限界だ。やはり晩飯までに何か菓子を食べようか。いやしかし、すきっぱらに唐揚げの方が旨味が増すだろうか。でもやはり腹が減った。そうだガムだけ。ガムだけにしようそうしよう。こくんと唾液を飲み込んで、うんうんと三郎治は頷いた。
愛しの我が家まであと数十歩だ。家の前にもハンターがいる。邪魔だ。あと数歩。三郎治は大きく踏み込んで、ハンターの腹に刀を突き立てる。倒れたハンターのポケットからあめ玉が転がりでた。三郎治はそれを拾いあげ、表札に散った血しぶきをぐいと拭う。
玄関の戸に手をかけたその時、サイレンが鳴った。狩りの終了を告げるサイレンだ。三郎治はどこかにあるらしいカメラに向けて。ひらひらと手を振った。これ以上三郎治のランクがあがることはないが、報酬は手に入る。いつも餌をありがとう。その意を込めて、三郎治は媚びた笑顔と共に手を振った。
サイレンがやむ。これで、今日の狩りはおしまいだ。三郎治は玄関の戸を開けた。
「あら、三郎治ちゃん。おかえりなさい」
おいしそうな匂いがふわんと広がる。今日は唐揚げ。それに赤飯とサラダとスクランブルエッグ。そしてたくさんの菓子。
明日はカレー。三郎治の好きな甘口のカレー。今日みたいにお釣りで菓子を買っても良いなら、明日もまたおつかいに行っても良い。
「ただいま」
けれどきっと太郎はお菓子ばっかり食べちゃダメよと角を出す。どうやって機嫌を取って菓子をねだろうかと画策しながら、三郎治は後ろ手に玄関の戸を閉めた。