JAP!!!
※若干の暴力・流血表現を含みます。
ヘッドフォンから流れるのは違法ラヂオだ。
別に、アナーキーを気取っているわけではない。気分さえアガれば、何の音楽だって構いやしない。穢土を飼う諸外国の国歌だろうが構いやしない。ただ、今はそんな気分ではないだけだ。ざらついた音が欲しかっただけ。大きくなり小さくなる、ノイズにまみれた不安定な音が欲しかっただけ。
ふいに学生服の尻ポケットに入れた端末機器が震え、三郎治は歩みを止める。ちょうど十字路にさしかかった時だった。
端末機器に表示された名前は太郎。三郎治は口笛をやめて、端末機器の画面に指を滑らせる。端末機器の画面に現れた太郎は、ぶりぶりぷりぷりとしたフリルのついたエプロンを身につけて、片手には包丁を持っていた。
「あ、三郎治ちゃん? もうスーパー出ちゃったかしら?」
長兄の裏声を違法ラヂオ越しに聞きながら、三郎治は周囲を見回す。三郎治を囲むようにして、十字の路地それぞれから人影が現れた。
「何? 言われたものはちゃんと買ったって。ナスとキュウリとキノコとバター」
言いながら、三郎治は背負ったリュックサックを軽く叩いて示す。
「あとカレーのルーの甘口」
「あら、ルーは中辛って言ったじゃないの」
「俺が甘いの食いたかったんだよ」
「んもぅ、三郎治ちゃんたらいつまでもお子ちゃま舌なんだから。もう十七歳よ? あと一年で、えっちなことも合法的に出来ちゃう歳よ?」
「良いだろ別に。で、何の用事?」
路地から現れた人々は皆、得物を手にしている。それはハンドガンであったり、古式ゆかしい両手剣であったり、ボウガンであったり、様々だ。装いも様々。迷彩服に身を包んだ者もいれば、スーツ姿の者もいる。年齢も様々。性別も様々。容姿も様々。金の髪をした者もいれば、三郎治と同じく黒髪の者もいる。どこの国の者かは、さすがに言葉を聞くまでは分からない。
画面の中の太郎は、そうよ聞いてよと身をくねらせて、まな板の上の肉の塊に包丁を突き立てた。
「次郎ちゃんがね、お嫁さんをゲットしたのよ!」
「嫁って……。何人目?」
次兄の次郎は、ここのところいわゆるエロゲーに精を出している。比喩的な意味で。比喩的な意味でもなく出しているのかもしれないけれど、次郎は基本的に部屋に引きこもりっぱなしだから、事実はどうだか知れない。
「さあ、もう百人は軽く超えるんじゃないかしら? んだよこのババァ中古かよクソビッチが、ってクソなこと言ってたけど、やっぱりお嫁さんゲットは喜ばしいことだと思うのよ」
太郎は頬に手を添え、ほうっと息を吐いた。肉の脂がつくんじゃないだろうかと思ったが、言わないでおく。
「アタシもはやく誰かのお嫁さんになりたいわぁ」
「で、用事は何」
「やだ、三郎治ちゃんたらクールね。でもそんなところがアナタの魅力よ」
「だから用事」
三郎治は若干苛立ちつつ、それを誤魔化すように、学生服の下に着込んだパーカーのフードを整える。周囲を囲む人々はじりじりと間合いを詰めながらも、一定の距離を保ったまま動かずにいた。
「あら、ごめんなさい。アタシったらお喋りね。そうそう、次郎ちゃんがね、お嫁さんゲットしたから献立を変えようと思うの。お祝いっていったらやっぱりお赤飯でしょ?」
「……赤飯でカレー食うの?」
「あら、それも尖ったセンスで良いわね。でも違うわ。今晩は唐揚げと、お赤飯と、あとサラダ。卵はスクランブルエッグにしようかしらって思ってるの」
「カレーは?」
「カレーは明日。一晩置いた方が味が深くもなるしね」
三郎治の落胆の表情が画面越しに見えたのか、太郎が片手を謝罪の形に立ててウインクをした。
「楽しみにしてくれてたのに、ごめんなさいね。小豆ともち米と買ってくれたお釣りで、三郎治ちゃんの好きなもの買って良いから」
「何でも?」
「ええ、何でも。たあっくさんお菓子買っても良いわよ」
「……お菓子……」
太郎の魅力的な提案に、三郎治の頬が思わずゆるむ。あまり食べ過ぎちゃダメよと日頃は取り上げられる菓子を、好きなだけ買っても良いと太郎は言う。何にしようか。クッキーと、チョコレートと、マシュマロと、それからグミと。キャンディーだって外せない。
「やだ、三郎治ちゃんったら可愛いお顔。とっても素敵よ」
太郎に言われ、三郎治は慌てて顔を引き締める。くすくすと笑いながら、画面の向こうで太郎が手を振った。
「それじゃあ、よろしくね」
「わかった」
「サイレンが鳴ったら、ちゃあんと屋内に入るのよ」
ピンと人差し指を立て、太郎が年上ぶった顔をする。まあ、十も離れているから実際にずいぶんと年上ではあるのだけれど。
「三郎治ちゃん、聞いてる?」
「はいはい、聞いてますよお兄ちゃん」
「お兄ちゃんじゃなくて、お・ね・え・ちゃ・ん」
「はいはい、わかりましたよおネエちゃん」
「……何だかトゲを感じるわ……」
恨みがましげな半眼を最後に、太郎との通信が途切れた。プツンと音を立てて、画面が暗くなる。三郎治は端末機器を学生服の尻ポケットに戻した。
違法ラヂオのノイズがだんだんと膨れ上がり、音楽を覆い隠していく。三郎治を囲む人々の群はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、口々に同じ言葉を口にした。
「
「JAP」
「JAAAAAAP」
さざ波のように声が押し寄せる。三郎治が首から提げたドッグタグを目にし、声はさらに膨れ上がった。そこに掘られた文字は「A5」。最高級の肉を示すランクだ。
人々は歓声の歓声があたりを埋め尽くす。彼らは得物や踵を地面に打ち付けガツガツと音を鳴らし、口々に母国の言葉をわめき散らした。次第に揃い始める音と声。
JAP! JAP!! JAP!!!
穢土の古い言葉を用いれば、鬨の声というやつなのかもしれない。
違法ラヂオは既にノイズを垂れ流すばかりだ。ザアと鳴るその音も次第にぶつぶつと途切れはじめ、やがて何の音も聞こえなくなった。
それと同時、けたたましくサイレンが鳴った。人々は声を飲み込み、その代わりに満面の笑みを浮かべてみせる。三郎治は腰のものに手を添えた。
やかましく鳴るサイレンが、尻すぼみに小さくなる。それが完全に聞こえなくなった頃、両手剣の男が率先して雄叫びをあげながら、三郎治に飛びかかってきた。
「――Ah……?」
しかしその雄叫びは疑問符に変わった。古めかしい両手剣を掲げていた男は、ぼたりと音を立てて地面に転がる自分の両手と剣とを見下ろして、きょとんと幼く首を傾げる。
「気が早ぇよ、早漏野郎」
三郎治は血振りをして刃を汚す血を払い、愛刀を肩に担ぐ。ジャップ・ブロード。囲む誰かが小さく言った。
男は叫び血をまき散らしながら、どうにか腕をかき集めようとする。つい先ほどまでは勇み立っていたくせに、他の者たちは男の血と声にひるんでしまったのか、三郎治を遠巻きに囲むばかりだ。
三郎治は男の腕を蹴り飛ばし、両耳のヘッドフォンをずらして首にかける。そして刀を手にしたままに、右の中指を立ててみせた。激高して銃口をこちらに向ける女を蹴り飛ばし、ついでに台の代わりにして塀の上へと跳びあがった。三郎治は塀の上からひらりと手を振る。ベルトに提げた鞘に刀を納め、そのまま塀の内へと跳び降りた。
塀の向こうでは今もやかましく彼らは騒いでいた。
JAP! JAP!! JAP!!!
聞き取れるのはそればかりだ。Fuckin' Jap。それもどうにか聞き取れた。やってみればと、三郎治は塀の向こうにむけて声を投げる。
足音が散らばり始めた。きっと三郎治の他の家畜を探しに行ったのだろう。
三郎治は頬を濡らす男の血を手の甲で拭い、首にかけたヘッドフォンを耳にあてがい直した。しかしラヂオは、今も無音と微かなノイズを漏らすだけだ。
一つ舌を打って、学生服のポケットから棒つきのキャンディーを取り出した。甘いカスタードの味のするそれを咥えて舌に転がせば、たちどころに三郎治の機嫌は上を向く。鼻歌を奏でながら、三郎治はスーパーへと向かった。
******
2×××年、穢土国民は総じて諸外国の狩猟家畜となった。
穢土国は総じて狩猟区域となり、穢土を支配する諸外国民は好きに狩猟家畜を狩る権利を得た。
いつ家畜を狩ろうとも、どう家畜を狩ろうとも、それは諸外国民の権利である。家畜たる穢土国民に口を出す権利は無い。穢土国民は狩られに狩られ、蹂躙された。
しかしそれを、諸外国民はいつしか面白く思わなくなってきた。蹂躙に飽きたのだ。ろくな抵抗もせずに簡単に狩られる狩猟家畜を、つまらなく感じてしまったのだ。
そこで諸外国民は考えた。もっとクレイジーでクレバーで、エキサイティングな狩りにしよう、と。
まず、時間を決めた。家畜を狩る可能な時間を決めた。サイレンが鳴り、サイレンがもう一度なるまでの時間だけ、家畜を狩っても良いことにした。ついでに、家畜にハンディキャップを与えた。狩りの時間帯、屋内の家畜を襲いはしない、というハンディキャップだ。やはり、つまらないからである。時間帯を決めようとも、屋内に押し入ってしまえば好きに狩りができる。好きに蹂躙できる。それではつまらない。
次に、家畜に武器を与えた。抵抗もしない、逃げもしない家畜を狩っても面白くないからだ。
そして家畜にランクを与えた。DランクからC・B・Aランクまで、それぞれ0から5階級。伝説のSランクなんてものも作ってみたりした。家畜は狩りの時間帯を生き延びるごとにランクが上がり、良い肉となっていく。最初は一回生き延びるごとにひとつランクがあがっていったのだが、年々ランクのあがる基準は厳しくなっていった。やはり、つまらなかったからだ。その基準では、簡単に狩れる家畜も上位ランクになってしまう。だから、基準を厳しくした。
諸外国民はハンターとなり、家畜を追う。狩った家畜のランクに応じて、ハンターの格があがる。ハンターのランクがあがることは、たまらない名誉であり、最高の娯楽であった。諸外国民は競い合ってランク上げに躍起になった。
家畜は生き延びた回数とランクに応じて、餌を与えられる。餌――つまりは衣食住と金である。
餌を欲して、家畜は上のランクを目指す。狩猟家畜は狩りの開始のサイレンが鳴ろうとも屋内に逃げ込まず、狩り場へと身を晒すようになった。最高のゲームとなった。
狩りの一部始終は、カメラを通して上層部が監視している。ハンターランクの管理と家畜ランクの管理の為であったが、どのハンターが何人狩るか、どの家畜が生き残るか、などといった賭事も同時に催されていた。
ランクに博打。他にこの狩りをもっとエキサイトさせる方法はないかと、諸外国民は考えた。
それが、モデル地区の導入である。これはまだ始まって数十年ほどの制度であるが、ずいぶんと受けが良い。
たとえば、伝統穢土区。昔ながらの穢土の風景が楽しめる狩り場だ。ここの家畜たちは当時の穢土国の風習に沿った生活を行い、今や遺物と呼んでも良いKIMONOを身にまとって、暮らしている。
その他にもサイバー区、メルヘン区、ファンタジー区、スラム区、B地区など、あげていけばキリが無い。諸外国民は狩りを楽しめるよう、穢土の国土を様々にモデリングしていったのだ。
三郎治たちが住まう地域は一般区。支配以前の穢土国が、一般的な生活を行っていたとされる生活様式で家畜が住まう区域である。ここの区域の家畜は、子供はガッコウに行き、大人はカイシャやミセにサラリーし、フーゾクやホストクラブで日頃の憂さを晴らす。文献資料や映像に残る、支配以前史に乗っ取った生活を、ここの家畜は送っていた。
三郎治もこの地区のこの歳の少年らしく、黒の学生服に身を包み、せっせとガッコウに通っていた。センセイにモデリングされた家畜の授業を受け、帰り道に野良猫と戯れて、サイレンが鳴れば狩りに参加し時に回避し、家畜として日々を暮らしている。
「おう、三郎治ちゃん。おつかいの帰りか」
「うん。帰りだったんだけど、今からまたおつかい。小豆ともち米とご褒美のお菓子」
三郎治は塀の内にいったん逃れ、スーパーを目指していた。塀の内側、つまりは他の家畜の庭である。不法侵入と目くじらを立てる家畜は滅多にいない。お互いさまだからだ。
庭から庭へ、たまに塀を跳びこえて、三郎治は歩みを進めていく。庭は「屋内」には含まれないが、それでも狩人の目をくらますには往来を行くより効果的だ。
声をかけられたのはその時だ。縁側でのんびりとゴルフクラブを磨きながら、前田のおじさんは禿げ上がった頭を光らせている。
「サイレンがさっき鳴っただろ。しばらくうちにあがっていきなさい」
「あんがと。でも大丈夫だって」
本音を言えば、はやく菓子を買って帰りたいだけである。三郎治がしゃべるのに合わせてモゴモゴと動くキャンディーの棒を見てそれを悟ったのか、前田のおじさんはやれやれと言いたげに肩をすくめた。
「おじさんこそ家ん中入ってなよ。そこじゃ流れ弾とんでくるし」
「なぁに、平気だ」
と、前田のおじさんはからからと笑う。それにかぶせるようにして、三郎治の背後の庭の樹がガサリと音を立てた。
樹の上にはハンターの姿だ。スーツを身にまとった男は太い枝に器用にまたがり、ボウガンを構えている。サイレンサー装着時の独特の軽く鋭い音と共に、矢が放たれた。三郎治に向かって飛んでくるそれをひょいと避ければ、矢は前田のおじさんに向かって飛んでいった。しかし前田のおじさんは動じることなく矢をひっ掴み、へし折った。おじさんの胸元には、B5のドッグタグが揺れている。
驚きの声をあげるハンターに向け、三郎治は足もとの石を拾い上げ、投げつけた。
「それじゃ」
「おう、気をつけてな」
前田のおじさんに手を振って、三郎治は塀に跳び乗る。額にぶつけられた石つぶてに呻きながら、急に距離の近まった三郎治の姿に、ハンターは慌てて木から降りようとした。だが足を滑らせ、みっともなく声をあげながらアスファルトに落下する。
その後を追うようにして、三郎治も塀から飛び降りた。ハンターは三郎治が腰に提げた刀を見やりながら、ぶるぶると首を振っている。何事かをわめいているが、何せ言葉が通じない。三郎治が理解できる諸外国民の言葉は、たいして多くない。それでも、おそらくは命乞いをしているのだろうということだけは分かった。
「覗きは趣味が良くないぜ?」
三郎治はベルトから鞘ごと刀を引き抜くと、ハンターの喉元を
三郎治は男に跨がり、スーツの内側に手を突っ込んだ。男はきっと金を持っているはずだ。しばらくしてスーツの内ポケットから財布を引き抜くと、三郎治はにんまりと笑った。
別に、三郎治自身が金を欲しているわけではない。この男の国籍がどこだか知れないが、三郎治たち家畜に与えられる貨幣とは、この男の持つ貨幣は異なっている。だから普段の生活で使えるわけではないのだが、こういった、諸外国民の貨幣や持ち物を次郎は好んで集めている。持って帰れば、つまんねえもん持って帰ってくんじゃねえよと悪態をつきながらも、あの汚い部屋のどこかに大事にしまっておくに違いない。
ごそごそとリュックサックに仕舞いつつ、三郎治は投げ出されたボウガンに視線を落とした。太郎は武器を収集している。持って帰るかと思ったが、リュックサックに入れるには少し大きい。また別の時にするかと思い、三郎治は伸びた男に背を向けた。
あちらこちらから、悲鳴と雄叫びが響いている。銃声に、窓ガラスの割れる音、車が急ブレーキをかける音。遠くの方で、何かが爆ぜる音もした。
ジャピューリメント! どこぞの国の言葉で騒ぎながら、物陰から女が飛びかかってきた。腹を蹴って黙らせて、三郎治はスーパーを目指す。
アスファルトに広がる女の金髪を見下ろしてから数十歩、あの女の持ち物も拝借すれば良かったかと、三郎治は少し後悔した。女は菓子類を持っていることが多いからだ。けれどもいちいち引き返すのも面倒なので、そのまま歩みは止めずにいる。
「あ、山田じゃん」
「よう」
クラスメイトの
小塚は短く切った薄茶色の髪を揺らしながら、軽い足取りで三郎治の側に駆け寄ってくる。
「どしたの? 今日はおつかいだから早く帰るって言ってたのに」
「そうだよ。おつかい行って、帰ろうとしたらまたおつかい。小豆ともち米買ってこいってさ」
「お赤飯? 山田生理始まったの?」
「始まってたまるか」
「あいたっ」
馬鹿げたことを言う小塚の額を爪ではじく。あいたたと大げさに痛がって額を押さえていた小塚だが、ふいに「あ」と口を開いて鞄に手を入れた。取り出したハンドガンの銃口を、三郎治の背後のハンターに向ける。