銀色と黄金宮 9
ぬくもりが遠ざかる。
足音が遠ざかる。
床には脱ぎ散らかした衣服が散乱している。
咆哮に窓が揺れた。
窓の向こうに、金が見えた。
巨大な金の獅子だ。鬣も体毛も瞳も爪も牙も、全てに金を宿している。
金の獅子は夜空を仰いで吼えた。
その姿を満月が照らす。満月よりもずっと眩い、陽光を思わせる金の鬣が風に揺れる。
ひび割れたコンクリートのビルの屋上、ピンク色のネオンの側に銀の獅子が姿を現した。
咆哮が二つに増えた。呼び合うように鳴いている。
そして、互いに向かって地面を蹴った。
夜空の下、金と銀が縺れあう。
吼え、爪を立て、牙を立てる。紅が咲く。
窓枠に手をかけ、みづ穂はその光景をぼんやりと眺めていた。
それは、備昇に住まう双子神の名だ。
そして獅子戦争の折に造られた、双子の『神』の名だ。
(何がありがとうよ……)
自分の父の勝手な都合で、二人を目覚めさせて、利用して。礼を言われるような事はしていない。
それに、いつもいつも謝ってばかりで。謝らなければいけないのは、こっちの方だ。
咆哮に鳴き声が交ざる。
銀獅子――いや、銀色か――が血にまみれて地に伏している。
金の獅子――陽、いや、黄金宮は吼え猛り銀色に踊りかかった。
首筋に喰らいついて、ぶんと首を振る。地面に叩きつけられる度、銀色の動きは弱々しくなっていく。
(駄目……だ……)
殺してしまう。
弟を救いたいと黄金宮は言っていた。
だができないと。
みづ穂と一緒だ。
父を止めたい。止める方法も分かっている。
けれどできない。父を失うのは嫌だから。
弟を止めたい。救いたい。望まぬ殺しなんてさせたくない。止める方法も分かっている。
けれどできない。弟を失うのは嫌だから。
死なせるのは嫌だから。
「……駄目よ!」
みづ穂は銃を片手に飛び出した。自分の愛用の銃ではない、先程男から拝借したものだ。手に馴染まないが、それでも無いよりは良い。
「落ちついて、陽! って……陽じゃ、ないのね。黄金宮? ああもうっ、どっちでも良いわ! とにかく駄目よ!」
金の目がみづ穂の姿を捉える。
体が震えた。
あの目は、みづ穂をみづ穂だと認識していない。獣の目だ。
唾と共に恐怖を飲み下し、みづ穂はじっと金の瞳を見つめて言った。
「ねえ……落ち着いて。ほんとにそれで良いの? 自分の手で、家族を、……殺しちゃっても良いの?」
黄金宮の口が緩んだ。
どさっと音を立てて銀色が地面に倒れる。
低い唸り声をあげ、銀色は体を起こした。至る所に傷がある。ふらふらとよろめきながらも、黄金宮に喰らいつく。
黄金宮は前足で銀色の頭を払った。ギャンと鳴いて、銀色は強かに地面に打ち据えられる。その首筋に黄金宮は喰らいつこうとした。
「駄目だってば!」
みづ穂は二頭の間を撃った。
「銀獅子、あんたも! じゃなくてええと、銀色? あんたも、いつまでも暴走してんじゃないわよ! ……させたのは、あたしのお父さんなんだけど。……落ち着いてよ。兄弟で、……家族で、そんなの、……駄目よ」
後悔するに決まっている。
自分だって、そうすべきだとは分かってい。父を止めなければとは分かっている。
けれどしたくない。無理だ。
世間からすれば、父は備昇の敵かもしれない。それでも、みづ穂にとってはたった一人の父なのだ。父が消えてしまうのは嫌だ。
陽、いや、黄金宮だって言っていたではないか。
弟を救いたいと。これ以上殺させたくないと。
殺させたくないからといって、弟を殺してしまっても良いのか?
それで本当に、黄金宮は納得するのか?
(そんなわけない)
二頭は唸りながら互いの動向を探っている。
(もうやだ……。どうすれば良いのよ……)
お父さんの馬鹿。
罵ってみても届くわけがない。分かっている。涙が溢れた。
はっとみづ穂は息を飲んだ。複数の足音がする。それはだんだんとこちらに近づいてくる。
「そこの君! 伏せなさい!」
警察だ。
みづ穂は背後に二頭を庇った。とはいえ巨体はみづ穂一人で庇いきれない。広げた両腕は無意味なものと分かりつつ、それでも庇った。
「何をしている! 死にたいか!」
ぐう、と唸る声がした。黄金宮が頭を低くして唸っている。警察が身構える。
駄目だとみづ穂は首を振った。喰ってはいけない。
だが、その心配は杞憂だった。黄金宮の金の瞳には知性の輝きがある。先程のようは獣そのものの目ではない。
のそりと黄金宮が歩み寄ってくる。この姿でも睫毛まで金色をしているのかと、そんな事を考えた。喰われる心配はないと、何故だか分かった。
べろりと頬を舐められる。泣くなと言うように。それから黄金宮は、鋭い爪の生えた前足で、ちょいとみづ穂の耳元に触れた。
みづ穂は耳を塞いだ。
黄金宮が夜空を仰ぐ。
咆哮が轟いた。
よろめきながら銀色も立ち上がり、二頭は揃って夜空に吼える。
警察は耳を押さえて蹲っている。それを目がけて地面を蹴る銀色の首根っこに喰らいつき、黄金宮は自分の背後にぽいと放り投げた。
暴れる銀色の首根っこを咥え、ずるずると引きずるようにして、黄金宮は夜闇の中へ走り去っていく。まるで手を振るように金の尾が揺れた。
警察が駆け寄ってくる。怪我の有無を問われ、みづ穂は首を振った。黄金宮につけられた二の腕の傷が痛む。
だんだんと、まるで波のように、辺りに喧騒が打ち寄せてくる。
二の腕を押さえ、みづ穂はぼんやりと金と銀の消えていった夜闇を見つめていた。