銀色と黄金宮 2
ふうと一息ついて窓の外に目をやる。
「……ぅぬ!」
「うお、びっくりした。どした?」
蜜蜂の慌てた声に、みづ穂は何でもないと笑って首を振った。
見間違いかもしれない。金髪の男なんてそこら中にいる。カップをソーサーに戻し、もう一度窓の外を見る。
「…………やっぱり!」
何なにと蜜蜂が首を傾げる。
昨日のあいつだ。
ひょこひょこと人ごみの合間に金の髪が揺れている。あれほどに眩い見事な髪は、やはり昨夜のあいつしかいない。
「ごちそう様! 愚痴聞いてくれてありがとう!」
慌しく銀貨をテーブルに叩きつけ、みづ穂は店を飛び出した。
「みづ穂ちゃん、お釣りはー?」
「いい!」
背を追ってきた蜜蜂の声に叫び返し、みづ穂は全速で少年の後を追った。
人々がみづ穂の必死の様相に道をあける。先程はそれが腹立たしかったが、今はありがたい。……まあ多少はむかつくが。
程無くしてみづ穂は彼に追いついた。
「ちょっとあんた!」
「ぅあ、え?」
がっしりと背後から肩を押さえる。振り向いた彼の腕を両手で掴み、自分の方へと向き直らせた。
「昨日の説明、してもらうわよ」
「え、ええと……? えー……?」
「自分のやった事覚えてないの? 信じらんない!」
拳一つ分ほど背の高い彼を、みづ穂は口を尖らせてねめつけた。彼は小首を傾げ、整った白い面にだらだらと汗を流している。
「えっと、その……。おれは……そのー……」
「何よ」
じり、と彼が後ずさる。逃げられないよう、みづ穂は腕を掴む手に力を込めた。
「ちゃんと説明してよね」
「いいい痛いいいい、う、腕……はなし……」
「逃げない?」
「に、逃げ、逃げない……です……」
たぶん、と彼は小さく付け加えた。みづ穂が睨むと、絶対! とぶるぶると首を振って背筋を伸ばした。みづ穂は力を緩めた。
ふと、周囲のざわめきにみづ穂は気付いた。いつの間にやら二人の周りに人だかりができている。
何だ何だ痴話喧嘩か? 兄ちゃん頑張れー、などささめく声が聞こえた。
みづ穂は人の輪をきっ、と睨んで威嚇する。人々は首を竦めて名残惜しげに散っていった。
大きく嘆息し、みづ穂は彼の腕を引いた。人通りの少ない小路へと連れて行く。彼はびくびくしながらもみづ穂に従った。
店裏に積み上げられた木箱に、彼を座らせる。みづ穂は彼の前に立って腕を組んだ。にいぃっこりと頬に力を込めて笑顔を作る。
「あんたよね? 昨日あたしの邪魔をしたヤツ」
「う、えぇ……その……はい……ええと……」
「何であんな事したの?」
彼は黒いズボンをぎゅうっと握り締め、首を竦めてみづ穂から視線を逸らした。彼が口を開くのをじっと待つ。
ええと、と彼は上目にこちらを見上げてきた。眉は情けなく下がっている。薄茶の目――光の加減によって、時折金にも見えた――が涙で揺れている。何? と笑みを深めると、彼はさっと目を逸らした。
「その……邪魔……したんでは、なくって……。ざ、座標軸を、ですね。…………間違えて、しまって……」
「はぁ?」
「ごっ、ごめ……っ……ん、なさ……」
びくっと肩を揺らして彼は縮こまった。みづ穂はこめかみを押さえて、鼻から長く息を抜いた。
「普通間違える? 座標軸の特定なんて使徒にとっちゃ基本の基本でしょ?」
「へぅ……す、すいませ……」
「……まああんたならやりそうだけど……。そうだ、あんた名前は? いつまでもあんたあんたって呼ぶのもなんだし」
「な、名前……っ」
「あたしはみづ穂。よろしくね……って言ってもよろしくしてもらう事なんて、この先無い可能性の方が大きいけど」
みづ穂は彼の手を掴み、半ば無理やり握手した。彼の冷たい手はじっとりと汗で濡れていた。そして震えていた。
彼は握られた手を、ぽっかり口を開けて見つめている。ほああと意味の無い声をあげて何度も瞬きを繰り返す。白い頬が真っ赤に染まっていた。
「あっ、あく、握手っ!」
「……そうね、握手ね」
「はじっ、初めてで!」
「…………そう……」
「おれっ、陽!」
「よ?」
「おれのっ、名前!」
きらきらとした目で彼は笑う。
そんなに握手が嬉しかったんだろうか?
教会に友達はいないのだろうか?
もし自分が教会で一緒に勉強していたとしたら、まあ確かに友達にはなれないタイプだとは思うが。
「陽ね、陽。……そうだ、あんた使徒服は?」
「へ」
「黒いびらっとしたやつ、使途の人って着てるじゃない。それに妖水晶の欠片は? 皆首からぶら下げてるでしょ?」
「……う」
陽は笑顔を引っ込め、一転暗い表情で俯いた。もじもじと指先を突き合わせる。
「……お、…………追剥ぎに……」
「はあ?」
「ご、ごめ……っ」
「いや、あんたが謝るとこじゃないわよ。何それ、それで? 盗られたのに追わなかったの?」
「うぅ……」
「そんな時こその呪文じゃない。使ったら捕まえられたのに!」
「で、でも……人相手には使っちゃ、いけ、ない、し……」
「そうなんだろうけど! もうっ、おバカ!」
「へうぅ……」
涙目で陽は俯いた。まあ、彼を責めても仕方がない。奪われる方も悪いが、奪う方が圧倒的に悪いのだ。
ふうっと息をついて心を落ち着ける。髪をかきあげ、みづ穂は俯いた陽の前にしゃがんだ。顔を覗き込んで首を傾げる。
「あともう一つ聞きたいことあるんだけど」
「う、な、何?」
「何で昨日逃げたの?」
答えろ、と有無を言わさない笑顔で詰め寄る。陽はうう、と呻いて小声で謝り、続けた。
「お、怒られる、と……思って……」
「そりゃ怒るわよ、邪魔されたんだもの」
邪魔、に特別にアクセントを置いて言うと、陽はへぐぅ、と妙な声をあげた。何だかだんだんと彼と話す(というか彼をいじる)のが楽しくなってきた。
にんまりとみづ穂は笑った。
「あたし、すんごい傷ついちゃったのよねー。ああ、あたしって逃げだしたくなるほど怖い顔してるのかなーって」
「う、違うっ! 顔はっ、ふつ、う! 怖くない、よ!」
ぶるぶるぶるっと陽は首を振る。そして、ごめんなさいぃ、と涙を落とした。ぎょっとしてみづ穂は言った。
「ちょ、泣かないでよ。そこまで怒っちゃいないわよ」
すいませんんんん、としゃくりあげながら陽は涙を落とす。
「あ、あたしが悪い事したみたいじゃないの。もうっ、扱いにくい奴ね……って、怒ってるんじゃないわよ。 ああもう! 泣かないの!」
こくりと頷き、陽はぐいぐいと両手で涙を拭った。みづ穂はほっと息をついた。
焦った。まさか泣き出すとは思わなかった。
(……いじるのは楽しいけど、いじりすぎには要注意ってわけね)
立ち上がり、陽の隣の木箱へ腰を下ろす。みづ穂が隣に座ると陽はびくっと肩を揺らしたが、みづ穂が何も言わない何もしないのを確認すると、肩から力を抜いた。
そんな陽を横目に、みづ穂は足をぶらつかせながら考える。
いったい陽は何歳なんだろうか?
見た目からすると自分と同じくらいだ。だがそう見えるだけでもっと年下なのかもしれない。
というか、同い年でこの言動はナイだろう。まあ単に人付き合いが苦手で、内向的なのが過ぎるだけなのかもしれないが。
「ねえ」
「ぅあ、へいっ!」
「何よへいって……あー良い良い、謝らなくて。怒ってないわよ」
半眼でひらひらと手を振る。
「ねえ、陽って何歳なの?」
「おれ、の、歳?」
「そう。あんたの歳」
陽は無言で首を右に傾げた。
真上、右、真下、左の順でぐりぐりと眼球が動く。左に視線を流したまま、こくっと首を左に傾げた。
「分から、ない」
はあ? と声にしそうになって、みづ穂は声を飲み込んだ。言ったらきっとまたびくびくと陽は謝るだろう。きょどきょどと謝られるのは不愉快だ。謝ってほしい時以外に謝罪の言葉はあまり聞きたくない。何だかイライラするのだ。
「知らないの?」
「え、あ……う……ごめ」
「謝らなくって良いって」
「ご、ごめ……あ、いや……うぅ……」
呻きながら陽は俯いた。ちらちらと横目でこちらの様子を窺ってくる。
ちらちらちらちらちらちら。
みづ穂は立ち上がって陽の頬を両手で抓った。
「何・なの・よ!」
「へぐぅぅぅ……お、怒って……」
「怒ってないわよバカ!」
「やっぱり怒ってるうぅぅ」
「怒ってないって言ってんでしょうが!」
「いーたーいぃー」
手を離す。陽は頬を押さえて、みづ穂は拳を握り締めて、互いにぜえはあと息を切らしていた。
(あーもー無駄に疲れた……)
胸を押さえてみづ穂は呼吸を落ち着けた。
その時だ。