大蔡紀3年 4月 午前2時
もう帰れだって? まだ良いだろうがよ、俺ァまだ何杯も飲んじゃいねえよ。
酔っちゃいねえさ。赤ら顔は元からだ。
……うるせえ女だな。細かいことばかり言いやがって。
へいへい、酔ってやす。酔ってやすよ。俺ァ元々は色白の別嬪さんでござんすよ。ひひっ。
ああもう、うるせえうるせえ。本気でそんな事思っちゃいねえさ。別嬪さんてのは、あんたみてえな奴にこそふさわしいよ。
……何だ、照れてやがんのか? こんな場末の酒場の女衆のくせしてよ。案外あんた、可愛い奴だな。ひひっ。
……いってぇ! 殴ることねえだろうが!
ほれ、もう一杯頼むぜ。なみなみ注いでくれよな。
……うめえ酒だなあ。何だ、鉱貴酒っていうんだっけか? 俺ァこんなうまいもん、飲んだことなかったよ。
それもこれも、大帝国サマサマだなあ。ひひっ。
……何だったんだろうなあ、俺たちのやったことは。
いっちょまえに、お国を護りてえって俺ァ思ってたさ。俺だけじゃねえ。戦った奴ァみんな、そう思ってたろうさ。
けど何だ。今のこの皇国……いや、もうそう呼んじゃいけねえか。……何なんだろうなあ、この、今のお国の、ご発展ぷりは。
大帝国サマのおかげで、こんなうめえ酒も飲める。あんたもそうやって、髪をきれいに結い上げられる。その服も似合ってんぜ? 腿がちらちら見えるのがそそってくれるよ。ひひひっ。
いってえなあ! だから、殴るなっての!
ん?
ああ、そうだよ。俺も戦に出てたよ。辺境で戦ってた。
ちがう違う、俺ァそんな立派なもんじゃねえさ。俺ァただの傭兵だ。しかも途中で、脱走してきた腑抜けの傭兵だ。
獣衆のお偉いがたは、みんな死んじまったさ。みんなみんなみーんな。……ひひっ。
なっさけねえなあ。なーにが皇国精強最強の獣衆だ。あいつら、……ひひひっ。
……うるせえよ。ほっとけ。
…………強かったなあ。みんな。すごかった。俺ァあの時ぁ二十そこそこの糞野郎だったが、憧れたよ。
憧れていたよ。
みんな、死んじまったがな。
あ?
違うさ。俺ァ憧れて傭兵になったんじゃない。金が欲しくてなあ。そうそう、酒を買うための金が欲しかった。金が欲しくて傭兵になって、怖くなって逃げ出した。
……何だよ、嘘じゃねえよ。
酒は良いもんだぜ? きもちよーくしてくれる。酔ってりゃあ、怖いのも忘れちまう。消毒にも使えるしな。ひひっ。
傭兵団のみんなもなあ、今頃どうしてんだか。きっと死んじまってんだろうなあ。俺ァここで酒飲んでるけどよ。ひひっ。
あー、うめえうめえ。うめえ酒だ。うめえ酒だなあ。
……ああ、別に構いやしねえよ。何でも答えてやる。あんた、優しい女だな。
逃げ出したのに深い理由なんざねえさ。ただ、朝焼けが綺麗だったんだ。
そりゃもう綺麗でなあ。俺ァびっくりしたよ。
丘の上から野原見下ろしてな。こう、ぜーんぶが見えるんだ。だだっぴろーく、な。
いやあ、あの立ちションは気持ち良かった。
……何だよその目は。あんただって小便くらいするだろうがよ。
お日さんが昇ってきて、俺ァ小便してて、空が眩しくなってな。薄もやがだんだん消えてって。
……綺麗だったよ。イチモツしまうの忘れてたくらいだ。
そりゃもうほんとに綺麗でなあ。……綺麗で、俺ァ、……。
烏がな、飛んでたな。たくさん。
ギャアギャアやかましいんだ、あいつら。いくら払っても、すーぐ戻ってきやがる。捕まえて食ってやろうかと思ったけど、あいつらなかなかすばしっこいんだ。
目玉とかなあ、腸とかなあ、柔らかいから。喰らいやすいんだろうさ。
ガキがうろちょろしてんだ。どっかから小火が出てる。俺ァイチモツぶらぶらさせてる。朝焼けは馬鹿みてえに綺麗だ。ひひっ。
……小便してくるっつってな。出てきたんだよ。仲間置いてな。
別に、逃げるつもりなんざなかったさ。ほんとに、小便しにいくだけのつもりだった。
でもなあ、朝焼けが綺麗だったんだ。
……さあな。どうなったかは知らねえよ。壊滅したとは聞いたけどな。
まあ、壊滅にもいろいろあらぁな。全員死んだのかもしれねえ。全員逃げたのかもしれねえ。俺みたいにな。ひひっ。
……どうなったんだろうなあ。俺の後は、多分宗吉が纏めてたんだろうなあ。
ん?
ああ、宗吉はなあ、真面目な奴でなあ、……あー、うるせえうるせえ。酔っちゃいねえっての。
真面目な奴だからなあ。カッチカチだぜ。毛の生えたてのガキの頃によ、後家さんに遊びに来なさいって言われて、手土産心配するくらいの奴だ。手土産よかてめえの息子さんのご心配をして差し上げろよ、なあ?
ひひひっ。ま、そういう意味じゃあ兄弟だよ。あこいら一帯、全員兄弟だったろうけどな。ひひひひっ。
あー……。あの頃は、楽しかったなあ……。ああ、楽しかった。
ほれ、もう一杯注いでくれよ。あーもー、うるせえうるせえ。俺ァ客だぞ。心配しなくても金ならあるぞ。ほれ酒だ酒。
そうそう良い子だ。……何だよその目。あんたも飲むか?
……ふん。ま、良いさ。後で欲しいっつっても飲ませてやんねえぞ。
ふーん、そうかい。歌か。中々殊勝な心がけだな。ひひっ。
なあ、何か歌ってくれよ。あ? 恥ずかしい? んじゃ小声で頼むよ。
ほれ、三・二・一!
お、あんた、なかなかうめえな。褥の中でも良い声してんのかい? ひひっ。
……いってえな!! すぐ手ぇあげんじゃねえよ!! 酔っ払いの戯言だろうがよ!!
ったく……。
……羽姫様のお歌だな。俺ァ会ったことねえが、猫殿の話じゃあ綺麗な姫様だったらしいな。
……そうだな。ああ、そうだな。そう、信じたいな。
お、この店も結構繁盛してんだな。……へいへい、詰めやす詰めやす。いちいちうるせえなあ……。
んあ?
おー、うめえ酒だぞー。お前さんも飲め飲、め……、
…………ひひっ。
何だ、お前……。そのでこっぱちの傷ァどうしたよ……。腕も、おい……。
……っるせえ、俺ァ小便のキレが悪いんだ。お前も知ってんだろうがよ。
あ? うるせえうるせえ、……うるせえよ、馬鹿野郎……。
……ちょっと小便行ってくらあ。
うるせえな、今度はちゃんと戻ってくるよ。心配すんなって。
なあ、宗吉。
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