俺は友達がいない
女難。
そうだ、俺はいわゆる女難の相というやつなのかもしれない。
小学六年生の冬の話だ。
当時よく遊んでいたクラスの女子から俺は告白をされた。実はずっと前から一基くんの事が好きだったの。そう赤い顔で俯いたその子はかわいいと思ったけれど、それ以上に、少し離れたところから俺たちを見守っている彼女の友人達の、あの、ギラギラした眼差しが怖かった。
別に彼女の事が嫌いだったわけじゃない。遊ぶのは楽しかった。でも、友人達のギラついた眼差しに怯えて俺は、考えさせてくれと答えた。
それから卒業するまで、ギラギラした友人たちに言われ続けた。いつまで待たせる気? かわいそうじゃない。あっちゃんの気持ち考えてあげなよ。一基くんひどいよ。良い奴だと思ってたのに。それとも良いのは顔だけなの? やだー、かちこったら言いすぎだよー。
仲良くしていた男連中からも、距離を置かれた。もてる奴は大変だよなー。お前は俺達より女子と遊ぶ方が楽しいんだろ? 仲間に入れてやんねえから。ほら呼んでるぜあいつらと遊んでこいよ。
おかげで、嫌いなわけじゃなかったはずなのに(むしろ活発な彼女の事は好ましく思っていた)俺は、彼女と関わるのが嫌になってしまった。
結局、学区の都合で彼女やギラギラ達とは中学がバラバラになり、俺は答えを告げていない。
同じ学校になった男連中は、中学に入ってからも俺とは関わりを持とうとしなかった。彼らはクラスの中心的な存在だった。その彼らが俺を敵視するのだから、クラスメイトは俺を扱いづらそうにしていた。露骨に無視をされたりいじめられたり、というわけじゃない。でも、よそよそしさは拭えなかった。
中学に入ってしばらくして、俺は塾に通いだした。成績が悪かったから、というよりも、学校じゃどうにも浮きがちだったので、俺は多分寂しかったんだろう。友達が欲しかったのかもしれない。
有名な塾じゃない。個人経営の、小さな塾だった。同じ学校の奴らがいない、少し離れた塾を俺は選んだ。生徒は十五人ほどだったように思う。
そこの皆とは仲良くやってきた。先生たちとの関係も良好だった。楽しかった。学校よりも、塾にいる時の方が呼吸が楽だった。そのおかげもあってか、俺は志望校に無事受かった。
晴れて塾を辞めて(卒業と言った方が良いんだろうか?)数日後の事だ。偶然、俺は町で先生と会った。女の先生だ。それまで知らなかったんだが、彼女は大学生のバイトだったらしい。
俺は彼女に乞われて、携帯の番号とアドレスを教えた。彼女にはお世話になったし、俺も、その時は彼女を慕っていた。でも元教師と元生徒がアドレスを交換するというその事に関して、馬鹿な事に俺は深く考えていなかったんだ。
それから、彼女から連日メールが届くようになった。今何してる? 今日は良い天気だね。昨日のドラマ見た? エトセトラエトセトラ。
意味の無いメールをぐだぐだと続けるのはあまり好きではない。だから、その気持ちをそのまま返信した。
そうしたらだ。誰のおかげで受かったと思ってるの? 英語の成績上がったのあたしのおかげだよね? 返信してくれなかったら、あたしとアドレス交換したこと塾長に言ってやるから。もちろん一基くんに無理に聞かれたって言ってやるんだから。脅されたんだって言ってやるからね。
そこで、教師と生徒が個人的な関わりを持つのは塾としてはタブーだったのだ、という事に気がついた。
でも、もうひたすら面倒で、好きにしてくれという気分だった。ただ、彼女とはもう関わりたくなかったから、俺は携帯を変えた。
おかげで彼女との関係は断たれたのだけど、同じ高校に受かった塾の奴らの眼差しは、何やら冷たいものになった。どういう風に情報が伝わったのか知らないが、いちいち弁解(言い訳か?)するのも面倒だったのでそのままにしておいた。
高校に通うようになって早々、俺は女たらしだの女を使い捨てるだの、そういう噂に付きまとわれた。多分、塾の奴らが情報の発信源なんだと思う。確認はしていない。仲良くしていたはずの奴らに悪く言われているんだという事を、確認するのが怖かったってのもある。
で、入学早々孤立だ。同性も異性も、そんな奴とは関わりたくないだろう。客観的に見て、俺自身そう思う。関わりたくないし、良い目ではやっぱり見れない。
だから、仕方ないかと俺は諦めていた。中学の時みたいに、他のところでコミュニティを築こうと思うほどの気力も無かった。逃げ込んだはずのその場所でもまたどうせ、という気がしていた。
でも、奇特な奴らもいた。三年生になってからの事だ。浮きっぱなしの俺に、声をかけてくれる奴らがいたんだ。
萌香と寛太だ。先に声をかけてきたのは萌香の方だ。彼女は率直に聞いていた。女の子使い捨てるって本当? 本当にヤリ捨てちゃうの?
あまりのストレートさに、俺は笑ってしまった。した覚えは無いんだけどなって答えた俺の声は、多分、少しだけ震えていた。
何だ、じゃあただの噂なんだな。寛太は朗らかに笑った。その笑顔が、俺はすごく嬉しかった。
二人は幼馴染だと聞いた。幼稚園の頃からずっと一緒ならしい。高校だけでなく、予備校も一緒のところに通っていると聞いた。家も隣で、兄妹みたいなんだと萌香は言っていた。兄弟みたいなんだよ、と繰り返した寛太の声には複雑さが隠れていた。
俺は、時折彼らと話すようになった。そのおかげか、クラスメイトの俺に対する眼差しも、何となく和らいだものになった気がする。高校の三年間、残り数ヶ月だったけれど、俺はようやく高校生活が少しだけ楽しく思えた。
大学にも無事受かり、登校の頻度も減ってきた冬。俺は萌香に呼び出された。嫌な予感がした。
案の定だった。告白されたんだ。萌香の事は好きだった。でも、好意を向けられるのは怖かった。だって俺は、寛太の事も好きだった。寛太が萌香の事を好きな事は知っていた。だから、怖かった。
断ったら泣かれた。そっか、と頷いた彼女はありがとうと言って、泣きながら笑っていた。ごめん、と言う以外にできなかった。
萌香と寛太とは卒業以来会っていない。メールもしていない。アドレスを変えた時、連絡のメールを送ったっきりだ。
それも、二人からの返信はなかった。というよりも、二人からは宛先が見つかりませんといった内容の英文メールが返ってきた。悲しかった。悲しかったな。
といった事をつらつら思い出しているのは、何だ、その例の女難というやつかもしれないものを、今まさにまた感じているからだ。
壁に背を預けた俺の前には、カップルがいる。男の方は、俺にいわゆるガンを飛ばしている。女は、やめなよーとか言いながらもどことなく嬉しそうだ。
曰く、人の女たらしこんでんじゃねえぞ。
面倒だ。そんな事をした覚えはない。というよりも、確か、お前のツレが俺を見て、かっこいいーとか言ってたのがきっかけじゃなかったか。
面倒くさい。こういう時はとりあえず黙っておいて、相手の気が済むまで好きに言わせておけば良い。と、過去の経験上俺は知っている。たまに殴られたりとかもあるけれど、まあ、仕方ない。
「悪ぃ、待たせた。……って、あれ? 知り合い?」
煙草を買いに自販機まで行っていた洋平が二人に目を留めて、怪訝な顔をする。男は洋平を見て、洋平にもガンを飛ばした。
何だてめえ、俺はこいつに話があんだよすっこんでろや。
と、多分言うつもりだったんだろうけれど、男の言葉は最後までは形にならなかった。
「相手見て喧嘩売れや」
洋平が男の胸倉を掴んで頭突きを食らわせたからだ。
頭突きを食らった額を押さえて、男が更に何かを言おうとする。洋平は、それを一睨みで黙らせた。何かお前、もしかしなくても慣れてないかこういうのに。いわゆる喧嘩に。いや、今まで四年間何となくそんな気はしてたけど。
だって最初に会った時、女ヤリ捨ててるとかマジで? マジだったらぶっ潰すから、とか良い笑顔で言われたくらいだったしな。茶化してたけど、あの時の洋平は目が笑ってなかった。うん、今となっちゃ良い思い出だ。
もういこっ、と言って、女が男を引っ張っていく。男の方はまだ何か言っているみたいだったが、煙草に火をつけている洋平は気にした様子じゃない。
すると急に、はっとした顔で洋平は煙草の火を消した。携帯灰皿に煙草を必要以上にぐりぐりして、ああああああとか唸っている。
「あああああやばい恥ずかしい! 何か昔のやんちゃ自慢みたいじゃね今のおれ。あーナイわー、今のはナイわー」
その場にしゃがみだしかねない勢いで、洋平はしきりに唸っている。
「やんちゃしてたのか」
「…………さほどでもねえよ?」
何だその間は。
「いわゆるアレか。いわゆる族のヘッドとか、そういうやつだったのか?」
「群れちゃいねえよ」
格好良いなそれ。
「いやいやいやいや、つかマジそういうのはもうねえから。ちょっとだけ、まあ、荒れてた時期は有ったけどさ。もうそういうのは卒業したから」
だってさあ、と少しだけ赤くなった額を押さえて、洋平はにやにやと笑った。
「女の子ってさあ、そういう感じのやんちゃ自慢なの嫌いじゃん? や、好きな子もいるのかもしんないけど、佳代ちゃ……、えっと、佳代? 佳代って呼んで良いってさあ、昨日電話で!」
「落ち着け」
「あーマジかわいい。おれもリア充の仲間入りだなあ」
うっへへへへへって、語尾は笑いに変わった。気持ち悪いぞ。
一月ほど前の事だろうか。洋平に彼女が出来た。聞けよ一基おれやべえマジ来たよこれ、とか、報告の電話がかかってきたのだ。興奮して話は飛び飛びだったが、まとめると、つまり告白されたらしい。
それでだ。三日後にデートの約束をしているらしいが、それが丁度付き合い始めて一ヶ月の記念日ならしい。で、おたがいプレゼントを贈ろう、という事になったらしい。
なあ付き合ってくんね? 買い物行きたいんだよーおれ一人じゃ決めらんないんだよー、と情けない声で電話がかかってきたかと思えば、まあ、そういう話だったのだ。
「女の子ってさあ、何貰ったら嬉しいんだろ。なあ、多恵子ちゃんどんなの好き?」
「さあな」
多分、お前からだったら何でも喜ぶと思うぞ。とは、言いはしないけど。
「んー、やっぱ花とかなんかなあ。でも枯れるしなあ。キザだろって気もするし」
「アクセサリーとかはどうだ?」
「ベタにそれかなあ。ピアスとかネックレスとか。指輪はなあ、何かまだ早いって気もするし」
うんうんと唸りつつ、洋平は眉間に皺を寄せている。
「やっぱ喜んでほしいじゃん? イラネって思われるよか、キャー嬉しいーって言ってほしいしさあ。んー、何だろなあ。何が良いかなあ」
「まあ、見ながら決めれば良いだろ」
「だな。よし、行くか。お菓子とかも良いかもなー。あー、もっとリサーチしときゃ良かった」
ぶらぶらと歩き出しつつ、俺は相槌を打つ。
こうして休みの日に誰かと出かけるのが増えたのは、大学に入ってからだ。こいつと知り合ってからだ。
それまでは本当、避けられて、遠巻きにざわめかれてばっかりだったんだ。
大学に入って何人か、いわゆるお付き合いという事をした相手だっている。告白されて、俺もまあ言ってみればそういう事に興味がないわけでも無いので、はいと答えて、しばらくして、こんな人だとは思ってなかった、ってフられるのがパターンだったけど。どんな俺だったら納得されてたのかは謎だ。何を期待されていたのかも謎だ。
そしたらまた噂が広まって、良いようには言われはしなかった。でも、中高の時のような閉塞感はなかった。隣でこいつが、もてる奴はつらいねーばーかばーかばーかってぼやいてたおかげもあるかもしれない。
「んー、やっぱアクセかなあ。っつってもどんなの好きなんだろ」
「自分が貰って嬉しいものをあげたら良いんじゃないのか?」
「俺だったらそうだなあ、ジッポとか香水とかワックス欲しい。あと灰皿。いや、それは貰って嬉しいっつかそもそもアクセじゃねえ」
おれアクセつけねーしー、と洋平は髪を乱す。
「あげてさあ、うわ何これ引くって思われたらショックじゃん? そんでそっからもしフられでもしたら立ち直れねえし。あーもーマジ悩む」
「まあ、フられたら慰めてやるよ」
「不吉なこと言うんじゃねえよ」
ガッと腿のあたりを蹴られた。痛い。お前やっぱり慣れてるだろ。
ああ、そうだ。さっき助けてくれた(多分)礼を言ってなかった。でも今更改めて言うのも照れくさい。うちに帰ってから、未だに微妙に赤いデコ用の冷えピタを渡しつつ言っておこうか。
ばーかばーかと毒づいたり、ストラップも良いかもなあと悩んだり、洋平は何やら器用に忙しそうだ。
心底思うよ。
こうして馬鹿やれる友人がいる俺のリアルは、今、十分に充実している。