天使の言い分 2
チャイムが鳴る。自分で呼び出したにも関わらず、ちょっとばかしめんどくせ、と思ってしまった。ごめん。
開いてる、と大声で言えば、すぐにドアが開いて、汗だくになった一基の姿が見えた。もしかして走ってきてくれた? ほんとお前マジ良い奴な。
「フラれたって、佳代ちゃん?」
「それ以外にフラれる相手いねえよ」
一基はサンダルを脱いで、部屋に上がった。ベッドの縁に腰を下ろし、手に提げていたビニール袋をおれの顔の横に置く。
おれはのそのそと体を起こし、袋を漁った。
酒だ。おれの好きなカクテルばっか。ビールあんまし好きじゃないって覚えててくれたんだな。や、大学四年間つるんでりゃ覚えるも何もないとは思うけど。でも傷心の身にゃ気遣いが沁みるってもんです。
「かーずきー」
「暑い。くっつくなって」
感極まって思わず抱きつけば、一基はそっけなくおれを押し返した。うう、冷たい。
一基は片手でTシャツの胸元掴んで風を送りながら、もう片方の手でクーラーのリモコンをいじって、設定温度を下げている。
袋から缶を取り出して、一基に渡す。一基はプルタブを引かずに缶を首元に押し当てて、冷たさを楽しんでいた。
おれも一基を真似して、缶を目元に押し当てる。一基が来るまでにちょびっと泣いちゃったおかげで腫れてんのか、目元が何だか熱かった。
久保一基はおれのアパートから徒歩五分のとこにある、酒屋の息子だ。
ちなみに久保酒店は、おれのバイト先でもある。ちょっと時給安いけど、近いし丁度良いやと思って入学早々応募したら、同じ学科の奴(一基ね)がいてびっくりした。
何で一基のこと覚えてたかってったら、学科の女子がきゃあきゃあ騒いでいたからだ。
一基はスッとしててシュッとしててキリッとした感じの男前だから、注目されるのも分かる。背も高いしね。
「落ち着いたか?」
んで声も良い。そりゃ女子も騒ぐよ。
生まれて二十二年間一度たりとて騒がれたことの無いおれとしては、羨ましい限りだ。まあおれには騒がれる要素なんて、全く無いんだけどさ。
おれは声だって別に格好良いわけじゃない。背も普通だし、顔も至って普通。ほんと普通。
例えば、友達に女の子紹介してもらってメールしてて、どんな顔って聞かれても、普通の顔だよって返すしかない。誰に似てるとかも無い。……ああ、柴犬に似てるって言われた事は何回かあるけど。褒めてんだか何なんだか良く分からんよね、柴犬。
一基はプルタブを引いて、酒を煽った。
よし、おれも飲もう。飲んで憂さ晴らしをするのである!
ほぼ一気飲み状態で一缶空けて、次の缶のプルタブを引く。その缶も半分くらい開けたところで、腹がちゃぽんちゃぽんになってちょっと苦しくなった。
とりあえずは缶を横に置き、おれは煙草に火をつけた。
煙草を吹かしながら、ぼうっと思い返す。
そういや、おれ最初はマイセン吸ってたんだっけ。で、佳代に会って、佳代にマイセンって吸ってる人多いよねって言われて、何となくマジョリティーだっせ、って思ってマルボロに変えて、そしたら佳代にマルボロ吸ってる人多いよねって言われて以下略。
で、行き着いて落ち着いた先はキャスター。間にパーラメントとかキャメルとか挟んでみたけど、口に合わなかったからやめた。まあキャスターだって別にマイノリティーってわけでもないし、マイノリティーが格好良いとも最近は思わないけども。何かしっくりきたからさ。
根元まで吸って、煙吐き出したらちょっと落ち着いた気がした。灰皿でぐりぐり火を消して、ベッドにうつ伏せになる。
「……落ち着いた」
「そりゃ良かった」
ぺんぺんと一基が後頭部を叩いてくれる。傷心に優しさが沁みるわー。何か泣きそう。
って思ってたらくしゃみが出た。ださい。
「なあ、ところでフラれたって何で」
ごろんと仰向けになると、クーラーのリモコンいじって温度上げてる一基が見えた。ほんとお前、気遣いできるね。何で彼女いないのか不思議。めっちゃ告られてるくせにさ。
って、ちょい前に聞いた時には『面倒臭い』って言ってたっけね。あーモテる奴はむかつくわー、ばーかばーか。
「……やっぱ友達なんだってさ。男として見れないって。あと、手ぇ出してくんなくてしょげた的な」
「ふーん」
「……ふーん、ってお前冷たいよ。慰めろよ」
「悪い。いや、何て言や良いんだろなって」
どうすべきか、とか言いながら一基は仰向いた。本気で悩んでくれてんだろう、眉間に皺寄せて、難しい顔をしている。真面目だねお前。
「はは、ごめん。来てくれて聞いてくれてるだけでマジありがたい」
おれは起き上がって、開けてた缶を手に取った。流し込んだ炭酸はさっきよりちょっと温くなってて、甘さが増してるような気がした。
炭酸全部抜けて不味くなる前に、酒を全部腹に収めてしまう。
「あーあ……。好きだったんだけどなー……」
溜息まじりに呟けば、一基がちらりとこちらを見た。まあ飲めというように、自分が飲んでいた酒を押し付けてくる。一基はあんましカクテル系は好きじゃないのだ。あとあんまし酒にも強くない。酒屋の息子なのに。や、関係ないか。
ありがたく受け取ったそれを飲みつつ、煙草の箱に手を伸ばす。
「……あ、煙草ねえや」
「買ってきてやろうか?」
「や、良いよ。流石にそこまでさせたら悪いし」
我慢するか、と思ったけど、無いと思ったら異様に吸いたくなるのは何でだ。不思議。
「ちょっとコンビニ行ってくる」
「おー」
おれは立ち上がって、財布だけ尻のポケットに入れた。酒の所為か、ちょっとばかしふらふらする。
やけに足音の響く安アパートの階段を下りて、近くのコンビニを目指す。嘘。目指そうとして、酒が回ったのかぐらっときちゃって階段に座り込んだ。
八月の空気は熱くて、重苦しく体にまとわりついてくるみたいだった。すぐに汗がじんわりと滲んでくる。
あーあ、しかしほんとフラれたのショック。おれが何したってんだよ。……いや、何もしてないからフラれたのか。
嫌な事は続くってほんとだな。大学四年の夏だってのに、おれは未だに内定貰ってない。まあこっちも、何もしてないから貰えてないんだけども。
どんだけエントリーしたって受けたって、結局また落ちんだろー、って思えばやる気も激減なんです。面接で『君には何が出来るの』『何でうちなの』聞かれまくるのも、もういい加減うんざりなんです。
んなの、『何も出来ません』『どこでも良いです』しか言えないよ、ぶっちゃけ。いや、面接官にゃそんな事言わないけどさ。営業職受けてんのだって、それしか募集無いからだし。
同じ時期に就活始めた奴は、何個も内定貰ってたりすんのにね。一基は酒屋継ぐしさ。
あとそれから八月だし夏休みだけど家に帰んないのは、何となく家の人間と顔合わせづらいから。
腫れ物触るみたいに、就活どうなのって義母さんに聞かれんのはめんどくさい。それにもし父さんが単身赴任から帰ってきてたら、何か色々聞かれたり言われたりするだろうし。それもめんどくさい。別に仲が悪いとかじゃないんだけど。
はあ、と大きく溜息吐いて立ち上がる。もうこのまま部屋戻ろうかな。めんどくなっちった。
……うーん、でもせっかく出てきたしやっぱコンビニ行こう。んで何か一基の好きな酒とかアイスとかも買って帰ってやろう。迷惑かけちったせめてものお礼です。
「あーあ、何か良い事ねーかなーどっかにイイ女落ちてねーかなー」
童貞捨ててー、とかぶつくさ言いながらのそのそ歩く。
そしたらだ。
アパートのゴミ捨て場に、セーラー服姿の女子が落ちてました。
……は? 何これ幻覚?
いやいや、そこまでべろんべろんには酔ってないし。幻覚っていうにはリアルだし。
セーラー女子は、ゴミ捨て場で膝を抱えておれを見上げている。
たぶん、リアル十代。どっかの何かのそういう感じって感じじゃない。だって制服てろんてろん生地じゃないし。肌ぴちぴちだし。
うん、ぶっちゃけ好みです。
黒髪ストレートセミロングで化粧薄めって、何それ何ていうおれ向けってくらいに好みです。
「ねえ」
うお、喋った。
好みは好みだけど、あんまし関わりたくないし無視してコンビニ行こうとか外道な事考えてたんだけど、喋りかけられたらやっぱ無視すんのは悪いかな、って気分になる。
しかし『ねえ』って言ったっきり、セーラー女子は口をつぐんだ。ただじっとおれを見ている。
「えっと……、何してんの?」
首傾げてそう聞いても、セーラー女子は無言。
んー……?
まあ、無視しちゃって良いかなー、と思ってコンビニ向かおうとしたらだ。
「ねえ」
また呼び止められました。何なの。
続きを待って黙ってたら、ちょっと間が開いたのちに、セーラー女子は口を開いた。
「……わたし、天使なの」
……は? 何それどういう事?
「あなたを助けるために、ここに来たの」
と言って、彼女は立ち上がった。おれの側に寄ってきて、きゅっとシャツの裾を摘む。
「童貞、捨てさせてあげる」
…………はい?