天使の言い分 1
一
何ていうか、これフラグじゃね? と思うわけで。
おれの部屋、隣には彼女、ふいに訪れた沈黙。
ここまで揃えば、脱童貞フラグじゃね? って思うわけで。
おれは逸る気持ちを必死で抑え、隣に座る佳代をちらりと窺った。
佳代はベッドに背をもたせかけ、膝を抱えてもじもじとしている。何だか何かを言い出そうとしているように見えた。
うん、多分『洋平くん、あたし、洋平くんなら良いよ』とかそういう感じのアレを言いたいんじゃないかとおれは思うわけで。
しかしそんな台詞、女の子に言わせちゃ男が廃る。童貞なりにも男の沽券ってのはあるもんだ。
よし、言うぞ。いや、言わんでも良いか。ここは行動あるのみ。
寺内洋平二十二歳、男になります!
と、勢い込んで佳代の肩に腕を回そうとしたら、ふいに佳代は真剣な顔をしておれを見た。
「……洋平くん」
「何?」
「……あの、ね」
佳代は言いにくそうに視線を逸らす。
皆まで言うな、分かってるさ。大丈夫、あれやこれやの準備は万端です。
「あたし……」
佳代はきゅっと唇を噛んだ。上目におれを窺っては、言いにくそうに口元をもごもごさせるのが愛らしい。
佳代はグロスで光る唇をちろりと舐めて、それから決心したようにおれを見上げた。まるで睨むように、強い瞳で見てくる。
ん?
睨むように?
「ごめん。やっぱりあたし、洋平くんは友達って感じなんだ」
……はい?
「何か、男の子って、あんまし思えないし……。付き合って半年経つのに、全然手ぇ出してくんないし……」
……あれ? 何これどういう事?
「……あたしって、そんなに魅力ないのかな……」
いやいやいやいや。
魅力なら充分ですよ? めっちゃ可愛いと思いますよ? いやマジで。お世辞とかじゃなくて。
まず黒髪でストレートでセミロングってのが良いと思う。いや、パーマの茶っぱ女子も見た目的には好きだけど、髪触った時の痛みっぷりがちょっと残念っていうか。
うん、ごめん。女子の髪まともに触った事無いです。何せ童貞なもんで。おれが就活前にゃパーマで染めてたから痛みっぷりを知ってるだけです。今は就活せにゃならんからパーマ部分切って黒染めしてるけど、やっぱ染めた黒髪ってのはぱっさぱさで、天然もんの黒髪のさらっさらっぷりには勝てません。黒髪万歳。
あと服装も派手すぎず、カジュアルすぎずってのが良いと思う。何てえの? 女子の服装の用語とか良く知らねえけど、綺麗めカジュアルっての? うん、多分そんな感じ。
あと化粧もめっちゃ化粧してます! って感じじゃないのが良いと思う。薄化粧ってわけじゃないんだろうけど、ナチュラル? 的なさ。
うん、ほんと、マジ可愛いと思うよ。マジ魅力的。ばっちしおれの好み。
とか思いつつも、突然のことにおれはボーゼンとしちゃって声も出せません。
佳代は一つ溜息をつくと、立ち上がって背を向けた。
「ごめんね、バイバイ」
いや、ちょ、ま、……ええ!?
手を伸ばすも佳代はするりと逃げ、足早に出口へと向かった。素早くパンプスを履くと、おれを振り返ろうともせずに部屋を出て行く。
ばたん、とドアの閉まる音が虚しく響いた。安アパートの階段を駆け降りる音がする。それもすぐに聞こえなくなって、部屋にはしんと静けさが満ちた。クーラーが頑張ってくれてる音が、やけに大きく聞こえた。
おれは伸ばしてた手をゆっくり下ろして、佳代が出て行ったドアをぼんやりと眺めた。
あれ? おれ、フラれた?
うん、フラれたよね、これね。完璧にフラれたね、これ。
…………。
……あ、どうしよう、何かむかついてきた。
いやいやお前さ、手ぇ出してくんないしとか言うけど、さっさと手ぇ出したら出したで怒るんだろ? あたしのカラダが目的だったの? とか言うわけだろ?
だからおれはまあ、我慢してたわけですよ。お前がおれの部屋来るたんび、めっちゃ我慢してたんだって。
え、良いの? 今やっちゃって良いの? と思いつつ頭ん中はエロい妄想であれやこれやしつつ、何食わぬ顔してフツーの話題振ったりしてさ。
んでたまに沈黙期間が来た時には手とか握ったりしてさ、おれなりにオッケー? って聞いてるサイン出してたんだけど?
そしたらお前逃げたじゃん。ごめんトイレ、とかもう帰る、とか言ってさ。
んでお前が帰ったあとおれは何か恥ずかしくなって、じたばたしてたんですよ? あーあ、やっちゃったなーやっべーとか思って、じたばた転げてたわけだよ。
で、次の機会にゃ出る勇気も出なくて、たんにお喋りばっかだよ。仕方ないじゃん? またかわされちゃったら、流石におれも凹むべ?
そのくせ、何、何なの。おれのこと男に見れない? 手ぇ出してくんない?
何だそれ。意味分かんねえ。
つか何、男の子ってあんまし思えないの意味が分かりません。
お前から告白してきたんじゃん? なのに男に見れない?
何だそれ、お前はレズかってんだ。ほんとマジ意味分かんねえ。
「あー……」
頭抱えてがしがしと髪を乱す。ワックスが掌について、何か余計にいらいらした。
ベッドに上がって、うつ伏せになる。枕に顔を押し付ければ、何か情けないやらむかつくやらで泣き出しそうになった。
枕もとの携帯に手を伸ばす。もにもにとボタンをいじって、発信履歴からある番号を呼び出した。
数回の呼び出し音の後、相手が電話に出る。もしもし、の声に被せるようにして(いや、意図的にやったわけじゃないけど)おれは用件を告げた。
「フラれた。慰めて」
それだけ言って、即切り。即行枕に顔埋めて、しょんぼりモードに切り替える。
今が夜で良かった。もし昼間だったなら、蝉のうるささで苛立ちも二倍三倍だったろうから。